第四章 記憶の中の人

 少年には気に食わない相手がいた。
 国の首都から訪ねてきた一団の中に彼女はいた。年は少年と同じくらいで、気軽に声をかけた。
「ねえ、良かったら村を案内しようか?」
 少年としては親切心から声をかけたつもりだった。歳も近いし、短い間だけれど仲良くなれるのではないかと思ったからだ。
「いいの。ほっといてよ。私はあなたみたいなお子様の相手をするほど暇じゃないの」
 だけど、彼女は少年を相手にしようとはしなかった。彼を馬鹿にするかのような口調で追っ払う。その態度も少年を見る目つきも明らかに少年を子供扱いしていた。
 自分だって、子供のくせに。
 面白くなかった。何故、年の変わらぬ相手に馬鹿にされなければならないのだろう。
 しかし、少年の両親は彼女と仲良くなるようにと勧めた。歳が近いし、大人の中の集団に一人紛れ込んでいる少女が寂しくないようにと気遣っていたのだろう。
 少年もそのことは感じていた。首都から、少年の村に調査にやってきた一団は年配者が多く、若者も混ざってはいるが皆成人を迎えている者たちばかりで少女は一人浮いていた。彼女はその一団の長を務める人の孫娘だと教えられた。祖父の仕事に付いてきたのだろう。
 きっと寂しいに違いないと思っていた。実際、彼女は祖父といる以外はいつも独りで孤立していた。寂しげだった。
 それでも、彼女は少年を追い払うのだ。まるで、関わりを持って欲しくないかのように。
 分からなかった。何故、そこまで少女がそこまで関わりを持つのを嫌がるのか。
 自分の厚意が取るに足らないもののように思えて、悲しくも腹立たしくもあった。
 少年は当然知る術も無い。彼女の本当の気持ちなど。
 ……彼女の抱える心の痛みなど。

 彼女は彼女なりの事情があった。
 幼馴染が居た。弟のように思っていた。だが、今はもうその弟のような幼馴染は彼女より遥かに大きくなってしまっていた。
 普通の成長で抜かされたのなら我慢だって出来た。だが、そうではなかった。
 時の流れが違っていた。自分はゆっくり流れているのに、周りが早い事に気がつき始めていた。
 年老いた祖父母。あっという間に大きくなる幼馴染。
 ……置いていかれるような気持ちになった。何故、自分だけ違うのかと不安になった。
 何故、皆は早い時間の中を生きているのだろう。何故、私は流れが違うのだろうか。
 自分の生い立ちについては聞いていた。異なる種族のもの同士が結ばれて生まれたのだと。そして、母親は皆と同じだけれど、父親は長き時を生きる種族なのだと。
 分かる事は、その父親の血が彼女にも有効に働いているという事だ。だから、時の流れが違うのだ。成長もなかなかしない。とっくに大人と肩を並べられる歳なのに小さな子供のまま。体力も何もかも小さな子供だった。本当にこのまま大きくなれるのだろうかという不安もあった。
そのうち皆に気味悪がられるだろうとも思った。
 そして何より置いていかれたくなかった。
 そんな時、舞い込んできたのが怪物退治の依頼だった。村には剣士も居るのだが、物理攻撃では歯が立たないので来て欲しいという要請だった。
 彼女の悩みに気がついていた祖父は、気分転換になるだろうと彼女も誘った。都会ではなく、田舎の自然に触れたほうが彼女のエルフの血も喜ぶだろうと考えたのだ。
 彼女も断る理由もなくついていった。そこは本当に森の中の集落だった。
 一面に多い茂った森は何故だか安心感を与えてくれたが、居場所ではないように思えた。
 気を使ってくれる人も多かった。外見が子供だから、皆、気にかけてくれるのだろう。
 ……私は大人なのに。大人と変わらないのに。そう思ったら余計に辛くて嫌だった。
 まだ、家に残っていた方が良かったかもしれない、そう思っていた。
 何度も声をかけてくる人も居た。外見的には歳が変わらないように見える。
「今日は君のとこのお爺さん達、調査に行ってるんだろう?母さんが一緒に食事にでもしませんかって呼んでるんだけど……」
 少年はどことなく警戒心を抱いた口調でそう誘う。そういう口調になるのは彼女がもうすでに何度も邪険に扱ってきたから故の事だった。
 きっと少年にとっては理不尽なのだろう。どうして子供扱いされなければならないのか。だけど、事情を話してみたところでこんな子供が信じるはずは無いと彼女は考えていた。
「いい。一人でも出来るから」
 彼女はにべもなくそう答える。今はもう人と関わるのも嫌だった。置いていかれると感じるのは何も祖父母や幼馴染だけではない。皆なのだ。そして彼女の事を良く知らない人ならば怖がるかもしれない。関わるのは嫌だった。
 だが、その言い方が気に食わなかったのだろう。少年は食って掛かる。
「なんでそんな事ばかり言うんだよ!こっちは心配して言ってるんだぜ?」
 だが、その言葉は彼女には禁句に近いものだった。彼女もすぐさま食って掛かる。
「余計なお世話よ!あなたみたいなお子様に心配される覚えはないわ!」
「何だよ、自分だって子供じゃないか!」
 少年は至極当然の反応を返したが、彼女にとっては一番言われたくない言葉だった。
「……何よ、あなたなんかに……あなたなんかに分かるはず無いでしょ!」
 パンッ!言葉と同時に手が出た。無意識のうちに彼女は少年の頬を叩いていた。
 はっとその事実に気がつき、彼女はその場を走り去る。
 叩かれた少年の方は何が何だか分からず、その後姿を見送るしかなかった。

「……セレナ、悪い事をしたのだと分かっているな?」
 調査から戻った祖父は彼女の昼間の一件を聞いたらしく、すぐに彼女に問いただした。
「……ごめんなさい。大人げなかったわ」
 彼女も昼間の一件はさすがに反省していた。言われたくない事だったけれども、向こうにしてみれば当然の言い分だったのだろう。納得はいかなくて、自分よりずっと年下の子供に対して手を上げてしまったのは反省すべきことだった。
「……しかし、村の子供に手をあげるなんてお前らしくも無い。どうしたんだ?」
 祖父は自分の孫が世話好きである事を知っていた。幼馴染の少年に対してもお姉さんぶりを発揮して、いつも面倒を見ていた。そんな彼女が子供に対して手を上げるなんて考えにくい事だったのだ。
「……ごめんなさい」
 セレナは謝る事しか出来なかった。この思いだけは大好きな祖父に言っても分かってもらえるものでは無いだろう。
 どうして、自分だけが時の流れが違うのか。どうして、皆と違うのか。
 ……どうして自分はここに居るのだろうか。
 そんな思いをぶつけてみたところで心配をかけるだけだ。結局どうにかしなくてはいけないのは自分なのだから。
 そんな孫の心が分かったのか、祖父はそれ以上深くは追及しなかった。それがセレナにとってはありがたかった。
 それから調査の話を一通り話すと、祖父は神妙な顔で孫に話した。
「……そうだ、セレナ。お前に一つ頼みがある」
「なあに、お爺様?」
 珍しい祖父からの頼み事にセレナは驚きながらも、半分は嬉しくて頷く。頼りにされているのだと感じたからだ。
「お前にはここに気分転換に来てもらうだけのつもりだったのだが……思ったより手ごわい相手でな。お前にも手伝ってもらわなければならないかもしれない」
 その言葉にセレナは顔を輝かせた。祖父の手伝い。超一流の魔導師と言われる祖父の手伝いが出来るのはその実力が認められたものだけだ。その祖父が自分に手伝いを要請してくれるのは認めてくれている証拠でもあった。
「うん!任せて!私、頑張るわ!」
 あまりの嬉しさにセレナは嬉々としたが、祖父の方は複雑そうだった。知識や能力は認めているが、孫はまだ体力的にも子供だった。あまり無理はさせたくないのが本音なのだ。
「……いいか、セレナ。お前は生まれ持って高い魔力を持っている。
 私はお前には奇跡の神様がついているんだと思うよ」
「……奇跡の神様」
 孫の問いかけに祖父は頷いた。そう、生まれて来た事自体、奇跡と呼べるかもしれない。普通では交わることの無い血を併せ持っていた。そして、魔法の才能は天性のものを持っている。これはきっと神が不遇な彼女に与えてくれたものだと祖父は信じていた。
「うん、分かった。私、精一杯努力するわ」
 セレナは笑った。やっと祖父の力になれる事が嬉しかった。
 祖父が自分に期待をかけてくれている。それはセレナにとって確かな光だった。
 そして、祖父の期待に応える機会は思いのほか早くやって来た。
 まだ最後の調査段階だった。十分な準備もしないまま、森に現れた怪物の急襲を受けたのだ。突然の惨劇に、祖父達も対応できず、彼等を護ろうとした案内役の一家は小さな子供を残して酷く傷ついてしまった。
 彼等を連れて一旦離脱したものの、遠目でも戦況が良く無いのは分かった。
 相手は…もしかしたら造られた怪物、キメラなのかもしれないとセレナは思っていた。
 祖父達が放つ魔法も効いたり効かなかったりしている。身体によって耐性が異なるのだろう。……これは確かに厄介な相手だった。
 厄介な事は他にもあった。少年が彼の両親の手当てを必死でしているが、早く村に連れ戻す必要があるのは見ていても明白だった。ここでは治療にも限界がある。
 何とかしなきゃ。セレナはそう考えた。祖父の期待に応えるためにも、今苦しんでいる彼等を救う為にも、どうにかしないといけない。
 何か、何か、あの相手を倒す名案は無いものか。セレナは必死で思考を巡らせた。
 一つの属性が効かないのであればいくつも掛け合わせれば良いのではないだろうか。
 そんな魔法は使ったことが無い。上手くいく保証も無い。しかし、出来ないものでも無いはずだ。今は一刻の時を争う。
 でも、自信が無かった。上手くいく保障は無い。
 不安にかられている彼女にもう一つの祖父の言葉が思い浮かんだ。
 奇跡の神様がついていると祖父は言った。奇跡の神様が。
 賭けてみるのも良いかもしれない。奇跡は起こしてこそ価値があるものだから。

 その後の事はあまり覚えていなかった。
 確か、少年に後を任せると説得して祖父の下に駆けつけ、一世一代の賭けに出たのはなんとなく記憶にあるが、無我夢中でその後はどうなったのか記憶に無かった。
 やっと意識が繋がった時は、もう怪物も何も無かった。祖父達が見える。どうやら無事のようだ。倒したのかどうかはよく分からないが乗り切ったことだけは確かなようだった。
 が、辺りを見回していて彼女はそこに居るはずの無い人間が居る事に気がついた。
 そう、洞窟に残っているようにと、彼の両親を診ているようにと言っておいたはずの少年が放心した状態で近くに立ち尽くしていた。
 セレナはここに来た時の事を思い出していた。彼は必死で行くなと止めた。まさか、自分を止めるためにここまでついてきてしまったのだろうか。
そう思ったら腹立たしくなって、セレナは思わず少年を怒鳴りつけた。
「ちょっと!なんであなたがここに居るのよ!ちゃんと御両親の傍に居なさいって言ったでしょう!なんでここまで来ているのよ!」
 あれ程、危険なのは分かっていたはずなのに、どうして子供というのはこうして後先を考えないのだろうか。やっぱり、このくらいの年の子供と一緒に扱われるのは納得がいかない。
 一方、怒鳴られた少年はやっと我に返り、申し訳なさそうな声で答えた。
「……だって、その、心配で……」
「あなたなんかに心配される必要なんて無いって何度も言ってるじゃない!」
 そう、もうこれで何度目になるか分からない言葉をセレナは繰り返す。この言葉を一体何度言っただろうか。それなのに、やっぱり彼から見たら自分と大して変わらない子供に映っているからこそ、そういうおせっかいをするのだろう。それが、腹立たしく思えた。
 こんな子供にまで見くびられているのだ、そんな思いがしたのだ。
 だが、怒っているセレナとは対照的に、少年は感動しているようだった。セレナの事を見ている目がキラキラとしている。その反応が今までと異なっている事に彼女もやっと気がついた。
「すごいよ!あんな怪物を一人で倒しちゃうなんて!」
「……え?」
 怪物を倒したと言われてセレナは初めて自分が怪物退治に成功した事を知る。無我夢中で何が起きたかもしっかりと把握していないのだ。それにその事実は自分でも信じがたい。
 だが、彼は見ていたのだろう、自分がその怪物を倒したところを。
 今まで見たことの無い表情で少年は真っ直ぐに彼女を見ていた。尊敬と感動とが入り混じったような視線。そんな目で見られた事の無かったセレナは急に恥ずかしくなった。
 ……そういえば身近な人以外に褒められたのは初めてだ。その相手が年下の子供であってもそれはどうしようもない嬉しさを与えてくれた。
「……もうこれ以上誰かが傷つくのが嫌で思わず追いかけてきちゃったけど、こんなに凄い力を持っていたんだね。心配する必要なんてなかったんだね」
「……!」
 少年は気恥ずかしそうに頭をかきながらそう言った。彼からすれば、心配で追いかけたものの、その相手が心配するに値しない人物だったので恥ずかしくなったのだろう。だが、その事実はセレナに新たな事を教えてくれた。
 ……私の事を、本当に心配してくれていたんだ。
 その事にやっとセレナは気がついた。子供だからとか、年が変わらないからとか、そんな目で見るのではなく、同じ人として彼なりに心配してくれていた事を知った。
 子供だからとか、見くびられているんだとか、そんな事を勝手に考えていたのは自分だけだったのだ。もしかしたら、みんなそんな事など考えてなんていなかったのかもしれない。彼と同じように思っていてくれたのかもしれない。
 子供だったのは……私の方だったのね。
 セレナはそう思った。見ないようにしてきたものの中に、一番見たかったものがあったのだ。それに今まで気がつかなかったなんて、なんて事だろう。
 少年はセレナの手をとって握り締めた。傷だらけの彼の手は、血で汚れ冷たかった。
「ありがとう、本当にありがとう!君のお陰で村が平和になるんだ!父さんも母さんも…助けられるよ!ありがとう!」
 彼は満面の笑顔で感謝の言葉をセレナに伝えた。その言葉にセレナは胸が熱くなるのを感じていた。
 今までこんな気持ちを感じた事が無かった。こんなに嬉しい思い、いつ以来だろうか。
 目の前で自分に心から感謝してくれている人が居る。
 他の誰でもない、セレナ自身に深く感謝してくれている。
 その事がどうしようもなく嬉しかった。嬉しくて言葉が出なかった。
「じゃあ、僕、村に戻ってお医者さんを呼んでくるよ。本当にありがとう!」
 少年はセレナに手を振ると、慣れた足取りで森の中を走っていった。セレナはその後姿を見送る。少年の感謝の言葉が耳から離れなかった。
 ありがとう!
 なんて気持ちの良い言葉なんだろう。この言葉を言われることがこんなに嬉しいなんて知らなかった。
 祖父の力になりたい思いがあった。少年の両親を助けたい気持ちもあった。そして、その結果、セレナは少年に深く感謝される事になった。
 私は必要とされているんだ。セレナはそう思った。感謝されるような存在なのだと思った。……だから、居場所が無いなんて思う必要は無いのだ、きっと。
 セレナは今まで持っていた思いが消え去っていくのを感じていた。
「……セレナや」
 聞こえてきた優しい声にセレナは慌てる。そして振り返った。そこには、彼女の優しい祖父が居た。今まで感謝の言葉に感動してしまっていて、祖父の傍に行く事を忘れていた事にセレナは気がついた。
「ご、ごめんなさい、お爺様!私……」
「いや、お前はよくやったよ。私の自慢の孫だ」
「……お爺様」
 祖父は優しくセレナの頭を撫でてくれた。その手が温かくて、緊張していた思いが崩れていくのを感じた。やっぱり、祖父が大好きなのだとセレナは思った。
「ねえ、お爺様。私……感謝されちゃったみたい」
 セレナは先程の少年の言葉を祖父に伝える。とにかくその話を祖父に報告したかった。
 話を聞き終えた祖父は優しく孫娘に微笑みかけた。
「良かったな、セレナ」
「うん。……誰かに感謝されるって素敵な事ね」
「ああ、そうだね」
 祖父の腕に抱かれながらセレナは頷いた。
 そう、こんなに感謝されるなんて思っていなかった。
 もしかしたら、自分の力を必要としてくれている人が居るのかもしれない。そして、その人の為に力を使うのは素敵な事かもしれない。
感謝して欲しいとかそういった打算的な思いではない。ただ、それを自分がしてみたいだけなのだ。誰かの力になるという事がとても素敵な事だと知ったから。それだけだった。
セレナはやっと新しい道を見つけたのだった。

 深い眠りから目が覚める。何か懐かしい夢でも見ていたような気がするのだが、それはよく覚えていなかった。まだぼんやりする頭を抱えながらアベルはゆっくりと身体を起こす。見ると、向こうでは女性二人が楽しそうに話していた。アベルの記憶する限りではそこまで仲が良かったようには見えなかったのだが、何かあったのだろうか。
 ふわぁ、とあくびを一つすると、ぐ〜っと身体を伸ばす。ここに辿り着くまでにアメーバ状の敵に散々追い掛け回されていたのだから、無理矢理ではあっても寝かせてもらったのは正解だったかもしれなかった。身体の疲労も大分取れているのが分かる。
「あら、おはよう。よく眠れた?」
 動いた気配に気がついたのだろう、セレナが振り返ってアベルに微笑みかけた。
「ああ、お蔭様で」
 とりあえずはセレナに感謝しておく事にした。寝かされた時は、そのまま置いていく気なのかとも思ったが、こうしてここに居るという事は彼女もここにいて休息をとったのだろうと分かったからだ。実際、身体も回復しているし悪い事は何一つ無いのだから。
「そう、良かった。あのね、ドリアードが案内してくれるって。楽になるわよ」
 そう言ってセレナとドリアードは顔を見合わせると微笑みあった。やっぱり、何かあったのだろうか。急に打ち解けている。
「……一体何の話をしてたんだ?随分と仲良くなったようだけど」
 アベルは怪訝な顔でセレナに問う。少なくとも、彼の知っている険悪な雰囲気は今はかけらも感じられないのだから。
 そう問われた方のセレナはきょとんとした顔をしてドリアードの方を見る。
「そう?大した話なんかはしてないわよ。
 私には彼女が彼を護りたい理由はよく分からないのは変わらないし」
 そう言ってからセレナは何か思い出したらしく、にっこりと笑った。
「あ、アベルの方がそういうのはよく分かるわよね!なんたって長年の片思いの相手が居るんだし!」
 セレナはびっと指を立てて楽しそうに笑う。それを聞いてアベルは思わず引きつった。
「そうなんですか?」
「そうなのよ!十年も片思いしてるんだって!ね、結構可愛いトコあると思わない?」
「ペラペラ人の話をするな!」
 得意げにドリアードに答えるセレナにアベルは抗議の声を上げる。このままだとあらぬ話だって飛びかねない気がした。
 ……それに第一、その相手の正体は先程思い当たったばかりで……。
 そう考えて、アベルの顔が青くなる。
 あの時は知らなかったとはいえ……その話を本人にしてしまっているのだ。
「ねえねえ、どんな人だったのよ!ちょっとは教えなさいよ〜!」
 セレナが楽しそうに聞いてくる。アベルの顔色は一層悪くなるばかりだ。
「良いだろ、ほっとけ!」
 アベルはからかってくるセレナを邪魔だといわんばかりに抗議すると、ぷいっと後ろを向いてしまった。
 ……そんな事、口が裂けたって言えるもんか!
「見て見て、照れてるみたいよ、がらにもなく〜!」
 楽しそうにセレナとドリアードが笑っているがそんな事は知ったことではない。
 最悪の事態とも言えた。
 まさか彼女がそうだと思っていなかったが……初恋の相手はセレナにほぼ間違いなさそうだった。そう、この極度の恋愛不審のセレナだったのだ。しかも、今では見た目だけならアベルの方が年上の状態というとんでもない相手。
 知らなかった……知らなかったとはいえ……どうしてこんな事になってしまったのか、アベルは深い後悔にかられたのだった。
 もっと早くに気がつけばよかったのだろうが、考えてみればアベルの知っている初恋の君は怒っているか、不機嫌そうな顔をしているか、寂しそうな顔をしているかのどれかで、今のセレナのように笑ったりした顔を見た事が無かった。歳の事もあるが、表情も違っているので余計に分からなかったのだろう。
 だがしかし、セレナがあの時の少女ならとんでもない力を持っている事になる。宮廷魔導師なのだから、納得がいくにはいくが……目の前でその力を見ているのと見ていないのとでは印象がまるで違う。
 金色の真っ直ぐな長い髪も、海のような青い瞳も……変わっていない。話し方にしてもそうだ。ちょっと威張ったような年上ぶった話し方。そう、同じなのだ。
 そう、ここにずっと会いたいと願っていた人物が居る。そう思うとアベルは急に胸が高鳴った。意識するなという方が無理だ。憧れの人が傍に居る。
 アベルはぎゅっと拳に力を入れた。もう一つ、決めていた事があった。
 彼女と再会する時は、昔のように護られるだけの存在では無いようにしたいと、彼女の力になれるような存在になりたいと決めていたのだ。今、まさにそれが試されようとしている。
 ……気を引き締めて、頑張らないとな。
 アベルはそう自分に言い聞かせた。今度こそ……その役に立てるようにと。
 笑っていたセレナが反論してこなくなった相手の顔をじっと見た。
 淡い茶色の髪、真っ直ぐな目……やはりどことなく見覚えがあった。それが誰なのか分からなかったのだが、先程の話のお陰でセレナにもその相手に見当がついた。
「……アベルって、あの時の男の子にちょっと似ているわ」
「誰に似ているって?」
 小さな声でセレナが呟いたので、アベルはよく聞き取れず問い返す。だが、その問い返しに対してセレナはふふっと笑うと身を翻した。
「内緒。さあ、そろそろ行くわよ!」
 セレナを先頭に、ついでドリアードがその後に続く。アベルも慌ててその後に続いた。


 とにかく内部を進むのは面白いほど楽だった。本来の主たるドリアードが共にいるせいで、免疫機能らしいアメーバ状のものは出現してもその動きがドリアードの指揮に従って動き、攻撃を受ける事がなかった。
「さっきまでが馬鹿みたいだよなあ」
「そうね。でもありがたいことには変わりないから喜んでおきましょう?」
 複雑そうなアベルをなだめるようにセレナが言った。セレナの方はアベルよりも長い間、このアメーバと闘争を繰り広げてきた。その相手はドリアードが手を伸ばしただけで動きが止まり、あっという間に退散していくのだ。もっと手近なところにドリアードが居たら良かったのに。そうは思うものの、それでも早く見つかったと感謝するべきなのかもしれないとも思い直す事にしていた。そうとでも思わなければ納得がいかない。
 道もドリアードが誘導してくれるので、本当についていくだけだった。こんなに手軽で良いのかとさえ思ってしまう。暇といえば暇だった。作戦を聞いておくなら今のうちかもしれない。
「……なあ、セレナ。勝算は一応あるんだろう?どうするつもりなんだ?」
 アベルの問いかけにセレナは難しい顔で振り返りアベルの顔を見る。少なくともその表情からすると決して良い策があるという訳では無いらしい。
「相手の出方次第なのよ。難しいわね、どうなるのかは見通しつかないし。とりあえずは、なんとかそのケリーって人をここから解放しなきゃいけないんだけど、その人がどんな状態なのかがよく分からなくて行き当たりばったりって感じかしら」
 そう言葉を切ってから、セレナは慌ててさらに付け加える。
「あ、だからって勝算が無いわけじゃないのよ。いくつかのパターンに応じた対処法は考えてあるし。だけど……アベルが狙われるのは確かだから……気をつけてね」
 セレナは最後の方を伏し目がちにそう言った。やはり、連れてきてしまって心配なのだろう。アベルもそんな彼女に対して大丈夫だと言いたい所なのだが、相手がどんなものなのかも想像がつかないのではうかつにそんな事も言えない。大丈夫だと言った矢先に倒れたりしたら洒落にならないし、乗っ取られる事でセレナを危険な目に遭わす可能性が無いわけではないのだ。
 そうなるとアベルも何か考えた方が良いのだろう。とは言っても具体的にはどうしていいものやらアベルには全く見当がつかない。とりあえず想定できる事から考えてみることにした。
 今までの攻撃は主にアメーバ達によるものだ。アメーバ達であれば実体があるので斬ることも出来る。だが、アメーバをどうやって動かしているのだろうか。どうやって作り上げたのだろうか。それを考えると魔力を持った相手と考えて差し支えは無いだろう。なんたってドリアードと共にここで過ごしていたのだから、魔力が使えたとしてもおかしくない話である。
 魔法……魔法が使われたらどうすればいいのか。ここでアベルは顔をしかめた。実のところ、アベルには魔法の知識がほとんど無かった。必要が無いというよりは才能が無いので早々に諦めてしまい、改めて学んではいないから、実際の原理はよく分からないのだ。
「なあ、セレナ。魔法って……実体はあるのか?」
「実体?そうね、あると言えばあるかしら」
 アベルの問いにセレナは少し考えてからそう答える。アベルが剣士である事から、詳しく説明しても無駄である事は分かっている。どうやったら分かりやすいかを考えていた。
 セレナはアベルの前に左手を持っていく。そしてアベルの目の前の左手は手のひらが青く輝いたかと思うと、周りの空気が冷えていくのを感じた。そしてパキパキと音を立てながら、セレナの左手は氷で覆われた。
「触ってみて?」
 言われるままにアベルはセレナの左手の氷を触る。ひんやりと冷たい感じがして、だんだんと触れている時間が長くなるごとに手がしびれるような感覚に襲われた。
「どう、冷たいでしょう?」
 セレナの言葉にアベルは頷く。まるで本当の氷を触っているようだ。
「一般的な四属性…火水風土は風以外のものは実体があるといってもいいわ。この氷も攻撃魔法に使うなら…例えばもっと鋭く長いものに変えて投げつける訳ね。氷ではあるけれど、鋭くとぎった氷の刃はナイフを投げつけるのと匹敵するようなものになるの。こういう氷の刃には実体があるのよね」
 セレナは左手をかざす。すると氷はあっという間にその手から消えていった。
「だけど、風は難しいかもしれないわね。目に見えるものじゃないし、その速度も速いから気がつかないかもしれない。実体があるとは言いがたいわね。黒魔術のエネルギー弾も似たようなものよ。やっぱり実体は無いようなものよね。だけど、実体がどうかしたの?」
 セレナはアベルの質問の核心を知らない事に気がつき問いかける。それに対してアベルは困ったような顔をした。
「いや、もしかしたら魔法って斬れたりもするのかなって思ってさ。斬れるんだったらちょっとは対策あるかもしれないだろう?だけど……斬れないんだったらやっかいだよな。相手が魔法使わないとは思えないし」
 セレナもそこまで聞いて、アベルの質問の趣旨を理解した。なるほど、斬ろうとしていたのなら、実体がどうのこうの言っているのは意味が分かる。
「聞いた話だと、剣の達人は空気でも切れるって話だけどね」
 セレナは昔祖父に聞いた話を口にする。だが、その言葉にアベルは苦い顔をした。
「……あのなあ、それが出来たら苦労しないっての。俺はまだしがない駆け出し剣士なんだしな。そんな見事な技は使えないって」
 そう、セレナの言うとおり、空気でも斬れるというような達人級の腕を持っていれば別の話だろう。だが、そんな腕は併せ持っていない。
「まあ、魔法の方が有利って訳でもないから……あんまり心配しないのが一番よ」
 セレナはどちらかというと気軽な調子でそうアベルに話しかけた。セレナからしてみれば余裕がある証拠かもしれない。とはいっても打つ手無しなら焦ってもどうしようも無い事も確かな事だった。
 とりあえず、剣で対処できるものは対処するという事にしようか。
 アベルの作戦はその程度のもので終わりそうだ。要は相手に会ってみなければ分からない。どんな事が待っているのか。それも全く見当がつかないのだから。
 だが、セレナは気をつけるように言ったが、アベルは自分の方が安全だろうというような気がしていた。乗っ取る気なら、身体に対して無茶苦茶な事はしてこない筈だ。
 ……俺がやるだけやらなきゃいけないんだ。
 アベルは心に何度も何度も言い聞かせた。自分を乗っ取ろうとしている相手に対して恐怖は当然ある。だが、恐れていても何も始まらないのもまた事実だった。
 今は進むしかないのだ。進まないと何も解決しないのだから。

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