「……この間、お前が言いかけた意味が分かった」
 報告書を見ていたエランにラディスはそう話しかけた。
 立場上、騎士団所属の長いエランが今はラディスの指導官の役となっていて、今も全体の状況はエランが全て把握しながら進めている。
 今回の警備は建物に被害は出たものの肝心の幹部は無事であったため、あまり損害を追及されることはなかった。
 だが、実行犯の検挙には至らなかった為に、上層部の人達が良い思いをしていない事も確かだった。
 一通りラディスの報告書を読んだエランは苦い顔をした。
「……これはきっと上の方も文句は言えなくなるよ。
 一部に懸念する声があったんだけど……そのものみたいだからね」
 エランは机に肘をつき、向こう側に立っているラディスを見上げた。彼は深刻な表情で見下ろしている。
「知ってはいるだろうけど……ラディと同じ境遇の子供は何人か居たんだ。
 その中の一人が行方不明になっててね。彼の名前はロキルドと言うらしい。
 名前まで一致しているな……本人と見て問題無さそうだ」
「……つまり俺の兄弟みたいなもんか?」
「遺伝的に繋がりがあるかまでは分からないけど……そんなものだろうね」
 ラディスの問いかけにエランはため息混じりにそう答えた。
「……あのプロジェクトはラディ達が最初で最後だ。
 人権や人道面でも問題があると訴えがあってね。反対運動の首謀者だったのは、知っての通りアリアの父親のカーム=ウェルステッド。あの人の言い分は最もだったからね。
 だけど、プロジェクトの推進者はその子供達をすぐには自由にしなかった。
それはラディも知っての通りだ」
 エランは淡々と語る。それをラディスは複雑な表情で聞いていた。前も感じたがエランは細かい所まで知っているらしい。
 ラディスはおかしな事に気がついた。エランは自分の事をよく知っている。だけど、決して自分には尋ねない事に。
 会いたかったからと彼は言った。その為に探したのだと。
 だけど、彼は決して聞いてこない。今までどこで何をしていたのか。どうしていたのか。
 調べてでてくる事は、あくまでも断片だ。エランはいくら上層部に顔が利くようになっているとはいえ部外者なのだから。
 それでも彼は何事も無かったように昔と変わらずに接する。
「……なあ、お前は俺には聞かないのか?。
俺がここを出てから帰ってくるまでに何があったのかって」
 そう、聞けば良い。聞きたいのであれば。楽しい思い出なんて無かったけれど、痛みを伴う思い出だけれど……人に話せないようなほど不幸な話でもない。
 だが、エランはゆっくり首を横に振った。
「いや、それは良いよ。
 俺とラディの歩んできた道は遠く離れているから、理解できるとは限らないし。
それに、お前の事だから気を使われるのも同情されるのも嫌なんだろう?」
 エランはラディスの顔を見て微笑んだ。その顔立ちはかつてと比べてずっと大人びたものであるのに、昔と何一つ変わらない笑顔だった。優しい幼馴染の顔だった。
「どんな過去であろうと、それがあるからこそこうして出会えたんだ。
 ……確かに俺はお前に畏怖を覚えた事はあるよ。ずっと昔にね。
でも、俺にとってお前は大切な幼馴染であり友人なんだ。
 今、お前が俺の目の前に居る。それだけが真実だ」
 そう、知る事が全てでは無い。同じ人間ではないから、全てを理解する事なんて出来ない。だけど、今すぐ傍に居る事だけは間違いの無い真実。
 その真実があるなら、それで十分だった。
 エランの言葉にラディスは何も言い返せなかった。
 そう、確かにその通りだから。そして畏怖を感じたというのに彼は変わらなかったから。同じように接してくれる。それは何より嬉しい事だった。
 エランは軽く微笑む。
「でも話したいっていうなら別だよ?どんな話でも喜んで聞いてやるさ」
「……ああ、ありがとな」
 ラディスは感謝の言葉を述べた。
 一つだけ間違いなく分かる事……それはエランが今も大切な友達である事。
 それは真実で全てだった。
「……とはいえ、今回の事で諦めるとは思えないな。
 申し訳ないけど、ラディじゃないと対処しきれそうにないね」
 友人に全てを押し付けないといけない現実にエランは深いため息をついた。
 ラディスの消息を突き止めてから、彼が故郷に帰ってこられるように取り計らったのだが、それは心を休めてもらおうという考えもあったからだ。こんな仕事を押し付ける為ではないのだが、残念ながらエランには手が出そうな問題ではなかった。
「……そういえばあいつは俺の事を知っていたんだよな」
 ラディスはロキルドとのやり取りを思い出す。彼はラディスの名を知っていて、『完全体』と呼んだ。
 もしかしたら……ロキルドの目的は変わるかもしれない。
 彼は自分に挑もうとしていた。少なくとも興味の方向は自分に移っていたように思う。
 だが、断定するのは危険だ。
「……ラディ、一つだけ言っておく」
 エランが考え事をしているラディスに真剣な瞳を向けた。
「いいか?確かに俺や周りはお前には及ばない。
 だけど、力だけが全てじゃない。一人で無茶だけはするな」
 友人の忠告にラディスは頷く。
 勿論、無茶しないつもりはない。
 自分一人で事が済むならそれで良い。そう思った。
 エランの気持ちは嬉しいが、自分に出来る事なら誰の手も借りたくはなかった。
 巻き込みたくはなかった。
 もう二度と、あんな思いはしたくなかったから。
 これは俺達の問題なのだから。
 だからこそ、大切な人を巻き込むわけにはいかないのだ。


 警備のごたごたと後始末でアリアの帰宅は随分と遅くなってしまった。
 危ないからと途中までセレスが送ってくれたので夜道は心細くは無かったのだが、やはり家の明かりを見るとほっとした。
 今日の出来事は普通じゃなかった。とにかく人間離れしたものばかり見た気がする。
 あのゴーレムも一人の人間が操っていたというし、それをあっという間に倒すラディスも普通ではない。
 魔法使いであってもあそこまで出来るのだろうか、そんな疑問が何度も生まれてくる。
「ただいま」
 弟はもう休んでいる時間だ。アリアはなるべく音を立てないようにとドアを開け中に入る。
 だが、弟は休んでいる時間なのに台所に明かりが灯っている。不思議に思って、台所へ向かう途中、そこから人が現れた。
「おかえりなさい、アリア。今日は随分遅かったですね」
 長い黒髪に青い瞳の人物がアリアを出迎える。その顔にアリアは驚いた。
「お父さん!どうしたの?まだしばらく向こうだって言ってたのに」
 突然の父の帰宅にアリアは驚きを隠せなかった。父はしばらく離島にある小さな街で魔法を教えるのだと出かけていったばかりだった。普段なら一ヶ月は帰ってこないのだが、今回の帰宅は一週間も経っていない。
「いえ、急に呼び戻されましてね。
 ……まあ、戻って早々、研究所が壊れていて明日改めて出向こうかと思ってますけど」
 穏やかな笑みを浮かべたまま父はそう話す。娘がその現場に居た事までは知らないらしい。まあ、普通はあんな所に居るとは思わないだろうが。
「アリア、食事はまだでしょう?今日は久しぶりに父さんが作ってみたんですよ」
「あ、ありがとう。お父さん」
 カームは娘に微笑みかけると、用意していた食事を温め盛り付けていった。
 父の久しぶりの手料理に冷え切った身体が温まった。食事の間も父は普段と変わらない笑顔でアリアに最近の話を聞いたりしていた。
 アリアの父親のカームは穏やかな人で、アリアはほとんど怒った顔を見たことが無かった。そういえば、恐ろしい剣幕で怒ったのを見た事があるような気がするのだが、そこまで詳しく覚えていなかった。怒られたのは自分ではないのかもしれない。
「あ、そういえばお父さん。聞いてよ。ラディスが帰って来たのよ」
 思い出してアリアは幼馴染の帰還を知らせる。
 アリアはそこまで詳しく知らないのだが、ラディスは彼女の父を師と慕っているのだけは間違いない事だ。
 ラディスの名を聞いてカームは驚いた顔をした。全く知らなかったらしい。
「……ラディが?
 そう……元気そうでしたか?」
「ええ、元気には元気よ。……昔と雰囲気が変わってしまっているけど。
 彼もお父さんの事気にしていたから、会ってあげたら?」
 少し様子のおかしい父にアリアは不思議そうな顔をする。
 会ってあげたらというアリアの言葉に父は困った顔をした。
「……そうですね。時期が来たら……」
 あいまいに答える。意思のハッキリした父にしては珍しい返答だった。
 アリアはラディスの事を思い返す。
 そういえば彼も安否さえ分かれば良いような感じであった。
 幼い頃の記憶を辿ると、ラディスは事の外、父に懐いていたような気がする。
 あれだけ懐いていたというのに、懐かれていたというのに何故こうも二人ともそっけないのだろうか。
 安否が分かればそれで十分だというのだろうか。
 それが心にひっかかった。


「聞いてや、ビッグニュースや!」
 どたばたと賑やかな足音が近づいてきたかと思うと、ばんっと大きな音をたてて赤い髪の青年が部屋に駆け込んできた。
 その唐突さに、それぞれ机で昨日の後始末の書類を書いていたセレスやレシティアやアリアの手が止まる。
 驚いている3人にはお構いなしで、ラウディは大きく肩で息をして呼吸を整えつつ、興奮さめやらぬ様子で大声で話し始めた。
「隊長の情報、掴んだんや!
 なんでも、あの人、魔法や武術とかなんでも出来る強化人間らしいで!」
 その言葉を聞いて、その場の全員が意味が分からずきょとんとする。
 そして、昨日のラディスの魔法を思い浮かべて目が丸くなった。
「な、なんだよ、それ?」
 やっぱりきちんと意味が分からずセレスがラウディに問いかける。聞かれたラウディも言葉に窮した。
「そ、そんなん分からへんよ!
 なんやそういう話を上層部の連中がしとったんやもん!」
「立ち聞き話か!」
 何とも頼りないラウディの返答にレシティアが突っ込みを入れる。
 だが、ラウディもそれに負けてはいない。
「そうや、立ち聞きや!
 そんでも昨日の魔法とか見たやろ!あの人、只者じゃないんや!
 めっちゃカッコ良かったもん、俺、憧れてしまうわ〜!」
 ラウディはすっかりラディスのファンになってしまっているようである。例え詳しく分からなくても、ラディスが強い事実には変わりがないからといった感じだ。
 実際、その通りなので一人楽しそうなラウディはともかくとしてセレスもレシティアもそれには同意のようであった。
「……確かに凄い上司だな」
「……ラウほどじゃないけど、私も憧れるな」
「やろ、そうやろ?」
 二人の反応にラウディは嬉しそうな顔をした。
 だが、楽しそうな騎士達と違ってアリアは呆然としていた。
 強化人間?
 そんなはずはない。アリアは小さい頃から彼を知っている。
 確かに小さい頃から魔法は得意だったけれど、普通の元気な少年だった。
 そう、特別な事はなかったはずだ。そう思うのにアリアはそう言い切れなかった。
 何か引っかかる。記憶が定かではないが……。
 だが、アリアは別の事に気がついた。
 ラディスが師と慕っていたのは、父親のカームだ。
 父は何かに関わっていたのだろうか。
 そもそも、ラディスと父は一体何で繋がっていたのだろう。
 もしラディスが強化人間と呼ばれるものであるなら、父はそれに関わっていたのだろうか。それに加担していたのだろうか。
 アリアの中で初めて父に対する不信感が生まれてきていた。
 そう、ラディスがいなくなった時、アリアは父に尋ねた。どこに行ったのか知らないかと。父は『分からない』と繰り返すだけだった。
 他にも思い当たる事があった。父は元々は魔導研究所に勤務していた。だが、ラディスが行方不明になったのと同じくらいに、急に出張がちになり、家を空けることも多くなった。妙に重なっていないだろうか。
 それに今回の急な帰宅。ラディスが現れてから数日の出来事だ。
 帰宅の理由を言わなかったが、それにはラディスが関わっているのではないだろうか。
 そういえば夕べの様子もおかしかった。何故、あの二人は会おうとしないのだろうか。会えない事情でもあるというのだろうか。
 分からなかった。アリアはあまりにも知らなさ過ぎた。だが、全ては十年前に直結しているような気がした。
 そう全ては十年前、ラディスが姿を消してから。

「……お父さん、話があるの」
 帰宅後、アリアは父親を捕まえた。娘の真剣な表情にカームは驚いた顔をしたが、すぐに頷いた。
 居間のソファに腰掛け、父と娘は向かい合った。
「なんでしょう、アリア」
 穏やかにカームは微笑んだ。その穏やかで優しい笑顔にアリアは自分の疑問が間違いではないかという気分に襲われる。父親を疑うなんて、そんな気持ちになった。
 だけど、やはり父は何かを知っているとしか思えなかった。
 子供の頃は何も知らなくても良かったのかもしれない。だけど、今は知っても良いはずだ。真実を。自分は知らなかった事を。
 アリアは息を呑む。そして一息ついてから切り出した。
「お父さん。今日、私聞いたのよ。ラディスは強化人間だって。
 どういう事なの?お父さんなら知っているでしょう?
 ラディスはお父さんの事を凄く慕っていた。そんなお父さんが何も知らないはずないわ」
 娘の言葉に父は驚いた顔をした。それはついに知ってしまったのかという表情だった。
 アリアは落胆するような思いにかられる。本当は父が何も知らないと言ってくれるのを望んでいたのだ。父が得体の知れない何かに関わっていない事を願っていたから。
 カームは目を伏せ、考えるような仕草をした。どう話すか考えているようだった。
「……おそらく、強化人間という言葉は正確じゃありません。
外部ではそう呼ばれるのかもしれないですけど、あの子はそうじゃありません。
人為的に生み出された事は確かですけどね」
 カームは思い出すような表情で話し始めた。聞いているアリアは複雑だった。
「私が魔導研究所に入って、最初に任されたのが小さな子供の教育でした。
 その子はまだ一歳にもならないのに、しっかりしていて言葉も理解しているようで。
 驚きましたよ、それからあっという間に話せるようになって。その知能の高さに驚かされることばかりでした。
 どういう子供なのかさえ、最初は何も知らなくて。ただ、普通の子供ではないような気がしていましたね。あまりにも並外れていたから。
 ある時、魔法を教えていて、彼の魔法キャパシティが桁外れである事に気がつきましてね。さすがにこれはおかしいと思ったんですよ。彼の魔力は自分では制御しきれないほどのものを潜在的に持っていたのですから。それで、上層部を問いただしましてね。あれは人間が持つ能力とは思えないほどのものでしたから。
 返ってきた言葉は簡単でした。
『国のために選り優れた人間を選抜して生み出したんだ』と。
『人造賢人計画』という名のプロジェクトだったんです。優秀な遺伝子同士をかけあわすと、両方の素質以上の優秀さを持つものが生まれたりするんですよ。それを利用したみたいですね」
 そう言って、カームは言葉を切って大きくかぶりを振った。
 そして複雑な表情をして聞いている娘に苦笑いを浮かべた。
「何を考えているんだと思いますか?命を自分達の都合に合わせて作り出すなんて。
 だけど、あの子はもう生まれてしまった。それなら、もうこの状況を最大限に生かすしかないと思ったんですよ。必要だと思うことは何でも教えました。外にも連れ出しました。
 エラン君やアリアと仲良くなってくれたのは本当に嬉しいことでしたよ」
 カームはもう一度頭を大きく横に振った。
「だけど……私はあの子を護ってやれなかった。それは事実です。
 ずっと、その安否も気遣っていたけど、ひたすら隠されてしまいましてね。
 でも、いざ会えるとなっても、どんな顔をしたらいいかも分からないのですよ……」
 カームはアリアを見た。娘はひきつった顔をしていた。
 そんな娘に父は苦笑いを浮かべた。
 娘が自分に対して落胆している事は分かっていた。だが、それに対して言い訳する気も起きなかった。いずれ、知る事になると分かっていたからだ。自分でもどうかと思うこの計画に父親が関わっていたとなれば落胆しない方がどうかしているだろう。
 カームは一言だけ付け加えた。誤解されたくない事が一つだけあったからだ。
「だけどね、アリア。私はラディを大切に思っています。あの子は私のもう一人の息子のように思っているのですよ。
 いいですか、アリア。あの子がどういう生まれであれ、あの子はあの子なんです」
 アリアはその言葉に頷く事も出来ず、うつむいたまま部屋にと走り去っていった。
 そんな娘をカームは静かに見送った。

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