第三章 挑戦者 あの日は、ちょっと遠出しようと思っていた。 街の外の知識はあるが、出たことはない。実際に歩いて見てみたかった。 モンスターが暴れているというが、それがどんなものかも話の上でしか知らない。 一応、理論上は自分より弱いはずだ。何かあったとしても、モンスターに遭遇しても何とかなるはずだ。そう思っていた。 一人で行こうとしていたはずなのだが、話を聞いた友達二人も一緒だった。二人も街の外は知らないと、ついて行きたがったのだ。 三人で街を護る城壁をこっそりと抜け、外に飛び出した。 見た事のないほどの広い林が広がっていて、奥に行くほどそれは深くなるようだった。 沢山の木々、鳥、虫、見たことの無い花や木の実を見つけて、三人共、危険である事さえ忘れてはしゃぎまわった。 だが、無防備にはしゃぐ子供に危険は迫る。 「エラン、アリア!ここから離れろ!」 迫る殺気に気がついて少年は彼の友人達に声をかけた。その鬼気迫る声に、二人はその場を慌てて離れる。 少年は、気を研ぎ澄まし辺りを探る。確実にその何かは迫ってきていた。 「ええい!炎よ!」 やって来ると感じたその方向に少年は飛び掛る。目の前に現れた巨大な蜘蛛に向かって、思いっきり炎の魔法を叩きつけた。 自分の三倍は大きいと思われるその巨大な蜘蛛は、少年の魔法が直撃してぐらっと傾いたが、またすぐに体制を整える。衝撃を食らったものの、あまり効かなかったようだ。そして、攻撃をしかけてきた少年に向かって襲い掛かる。 「……あの程度じゃ効かないのか?」 襲い掛かってくる長い足を避けながら、少年は次の魔法を唱え始める。 「これならどうだ!氷の刃!」 胴体に向かって氷の刃を放つ。だが、その刃は固い外殻に弾かれた。想像以上に固く、魔法が効きにくいようだ。 「…どの程度なら効くんだ?もう一度、氷の刃!」 少年はさらに威力を上げて氷の刃を放つ。だが、それもまた弾かれる。 少年は初めて恐怖感を覚えた。今まで魔法を使うのはこんな訳の分からない相手ではなかった。どうすれば対処出来るのか分からない。 助けを求めようにも求められない。むしろ、友人達を護るには自分が頑張るしかなかった。 そのうち、巨大蜘蛛の方が優勢になってき始めた。さらにその音を聞きつけて、他の巨大蜘蛛が何体も現れた。 言い知れぬ不安感と恐怖感に襲われる。普段教わっている通りにやれば決して負けるはずはない。だけど、何故上手くいかないのだろうか。 その時、蜘蛛の足が少年に襲い掛かる。逃げようにも間に合いそうになかった。 ここで負けるわけにはいかない。やられる訳にはいかない。 そう感じた瞬間、少年の身体に湧き上がるような力が現れた。 「雷、招来!」 無我夢中で少年は雷魔法を唱える。激しい電撃が巻き起こり、巨大な蜘蛛に襲い掛かった。バリバリと耳が張り裂けそうな音がし、目の前で蜘蛛が黒焦げになってばたりと倒れた。 しかし、少年は勝利を喜ぶ訳にはいかなかった。唱えたはずの雷の魔法の力が収まらないのだ。身体から溢れ出す電撃の力は新たに現れた蜘蛛達にも襲い掛かり次々と感電させていった。 それでも止まらない。力を抑えようとしても一向に収まらない。むしろ、溢れ出す力はどんどん大きくなり、既に少年の制御下には無かった。 彼の師が魔法を唱える時は制御出来る程度にしか魔力を高めるなと言っていたのを思い出す。制御出来ないという事はこういう事なのかと少年は思った。 先程までとは違う恐怖が彼に襲い掛かる。蜘蛛が怖かったのとは全く違っていた。自分自身が恐ろしかった。留まる事を知らないこの魔力は少年の身体から溢れ出して、周りにあるものを次々と感電させていった。 蜘蛛を倒した事で、友人達は一度は少年の下に駆け寄ろうとしたのだが、あまりの異様さに二人共、それ以上は近寄ってこなかった。それはせめてもの救いだった。 だが、本音を言えば一刻も早くこの場から逃げて欲しかった。 この暴走する力が友人達をも襲うのではないかという恐怖に支配された。 護ろうとしている人達だった。自分の大切な人達なのだ。自分で傷つけてしまうだなんて耐えられなかった。 離れようとしない友人達……。その顔は恐怖を感じているように見えた。そう、少年に対して。だが、その相手が少年ゆえに逃げ出すわけにもいかず、どうして良いか分からないのだろう。 友達が自分に怯えている。それは少年にとって辛い事実だった。だが、それを責める気持ちにはならなかった。自分自身も、怖かった。この止めようの無い力が。 なんとか抑えようとする。だが、歯止めを失った力は湧き出す泉のように際限なく溢れ出すだけだった。 「ラディ!」 その聞き慣れた声に少年は希望の色を浮かべた。走ってやって来たその人物は、少年の友人達を離れさすと、恐れる事無く少年の下にやって来た。 長い黒髪の魔導師。彼の一番信頼する相手だった。 「せ、先生……!どうしようも無いんだ!」 悲痛の叫びを上げる少年に、魔導師は険しい表情を浮かべた。力が暴走しているのは明らかだ。なんとかしなければならない事だけは分かる。 だが、魔導師はためらう。今の少年に比べて彼の魔力は明らかに劣っていた。魔導師として、中の上か上の下くらいの腕前の彼には、最上級の才能を持つ少年に比べて敵う事は無かった。 だが、肝心の少年は自らの力に翻弄されていた。扱いきれていなかったのだ。 それでも魔導師には勝算があった。少年の力は暴走しているとはいえ全力ではない。 潜在的な能力がどうであれ、それを全て引き出せる人間はそうはいない。つまり全身全霊であれば、彼にも分がある。普段から少年の面倒を見ている彼は、自分の力を出来うる限り引き出す術を習得していた。 「良いですか、ラディ!少し痛いかもしれませんが我慢するんですよ!」 魔導師は光を少年に向けて放つ。 バシバシッと激しい音がして、少年は全身が貫かれる思いがした。激しい痛みが襲い掛かる。自らの魔力が押さえつけられているのが分かった。溢れようとしているものが無理矢理押さえつけられる、その力は痛みとなって少年の身体に襲い掛かった。 そしてあまりの痛みに意識が遠くなりそのまま倒れこむ。 その後、遠くで魔導師や友人達の声を聞いたような気がするのだが、定かではなかった。 その記憶は少年の中に深く深く刻まれている。 そう、何よりも望まない結果になってしまいそうになってしまいそうになった忌まわしき記憶として。 そして、自分が恐怖を抱かせる者である事を自覚する記憶として。 朝、起きた時には父はもう出かけていた。 アリアは少しだけほっとする。 昨日の今日だ。どんな顔をして会って良いのかさえ分からなかった。 食卓には父が用意したのであろう朝食と弁当が用意されていた。 トーストにスープとサラダ、それにスクランブルエッグ。カームがよく用意するいつも通りの朝食だった。 いつもと同じような朝だった。少なくとも父はいつもと変わらないようだった。 そう、アリアの父親は物静かで穏やかに微笑んでいる人だが、その芯は非常に強く、よほどの事があっても慌てたり取り乱したりする人物ではなかった。 おまけに人の心情を読み取るのは得意な人だった。おそらくアリアの心情にはとっくに気がついているだろう。 それでも……それでも夕べ父はアリアに何一つ言い訳を言わなかった。否定もしなかった。ただ、その通りであると肯定しただけだ。 その事で、アリアが傷つくのも、自分の信頼も無くすのも分かっていたはずだ。それでも、事実をそのまま述べただけだった。 カームは事の外、嘘が嫌いなのでそれ故かもしれない。 だけど、アリアは否定して欲しかった。仮に関わっていたのだとしても、嘘でも良いから否定して欲しかった。 幼い時に母を亡くし、男で一つで自分と弟を育ててきた、誰よりも信頼している人だった。その人が、人を人だと思わないような計画に加担していた。事実を知っても、そこから抜けようとはしなかった。 父が何を考え、どうしようとしていたのかは分からない。 ただ、一番身近だった人が分からなくなった事だけは確かだった。 父が急に知らない人になってしまったようで怖かった。 アリアは用意されていた朝食に口をつける。食べなれた父の手料理の味がした。 そう、良く知っている父の味……。 どうして良いか分からない心情に襲われて、アリアは俯いた。 ラディスが帰ってきてから訳の分からない事ばかりだ。 彼はかつての面影が無くなっていた。父は、彼を実験体として扱う組織の一員だった。 そしてこの間の、謎のゴーレム事件。 分かるのは何かが動き出している事。それだけだった。 アリアは立ち上がる。もう行かなければならない。 チェックのテーブルクロスの上に置かれた、淡い黄色のお弁当袋を見る。 少し考えてから、アリアはその袋を取った。 騎士団本部のアリア達の部屋までやって来ると、中から賑やかな声がしていた。 開けてみると、中ではラディスにラウディが纏わり付いている。 「……だから、付き合わねえって言ってるだろうが!」 「そんな事、言わんといてや〜!隊長の魔法、凄かったもん! けちけちせんで教えてえな〜!」 どうやら、魔法を教えてくれとせがんでいるらしい。それを、面倒そうにラディスが邪魔だとあしらっている。だが、ラウディの方もしつこく食い下がっていた。 確かに先日のラディスの魔法は驚異的だった。アリア達がやっとの思いでゴーレム一体を相手にするのに、一人であっという間にほとんどを一掃してしまった。 夕べの父の話が頭を過ぎる。 より優れた人間を作り出したのだと。 少なくとも、魔法に関してはラディスの腕は他に類をみないのではないかと思った。 よく思い返せば、小さい頃からあの少年は何でも器用にこなしていた。年上だからだと思っていたのだが、考えればラディスと同い年のエランもアリアと似たり寄ったりだった事を思い出す。連れまわすのも何かをするのも大体ラディスで、アリアとエランはそれについて回っていただけだった。 向こうでは一向に相手にしてくれないラディスにラウディがまだ纏わり付いていた。 それを見てアリアは思わず微笑んだ。 あの一件以来、何があったのかは知らないが、ラウディはすっかりラディスに懐いてしまい、それにつられるかのようにセレスやレシティアも少しずつ信頼を見せるようになっていた。 やはり、一番大きいのはあの凄まじい魔力を目の前で見たからだろう。騎士団の人間というのは不思議と強い人間に惹かれるもので、相変わらず愛想もそっけもないラディスなのだが、すっかり隊長として馴染んできつつあった。 ラディスもその変化には気付いているのだろう。本人としては、何故そうなったのかは分かっていないようだったが、戸惑いつつもその状況を悪くは思っていないようだった。 少しずつ付き合いが出来てくるうちに、アリアも以前ほどラディスに対して違和感を覚える事は少なくなっていた。 慣れてきた、という事もあるのだろうけれど、面倒見の良さは昔とあまり変わっていなかった。 何かが出来ていないとそれを手伝うし、その人に合わせた対応をとってくれる。それに自分の部下達が何をどうしているのかもちゃんと把握しており、的確だった。 そっけないとか愛想がない部分は多いが、上司としては優秀である事は確かだった。 「お、アリアちゃんや。おはようさん」 ようやくアリアの存在に気付いたラウディが人懐っこい笑みで手を振った。それから、ふと何かを思い出した顔をして、表情がぱっと明るくなった。 「そや、アリアちゃん!アリアちゃんからも何か言ってえな。 隊長、堅物で魔法教えてくれん言うんや」 「え?私?」 いきなり協力を求められて、アリアは目をぱちくりとさせた。来たばかりの自分にどうして話が振られるのか分からない。 だが、ラウディの方は懐っこい顔のまま、話し続ける。 「そうや、アリアちゃんの言う事やったら聞いてくれそうやし。 隊長とアリアちゃん、幼馴染なんやろ?なんで隠しとったん?」 その言葉にアリアよりも傍にいたラディスの方が反応する。今まで眉一つ動かさなかった顔に驚きの色が浮かんだ。 「……なんでお前が知ってるんだよ」 その言葉には怒りにも近い感情が読み取れた。自分の私情を探られて不愉快そうだった。 だが、ラウディの方はどこ吹く風である。 「上司の事をもっとよく知ろうっちゅう可愛い部下心やないか。 ちょっと気になる情報手に入ったんで、エラン少佐に聞いてみたんよ」 「……出所はエランか」 ラディスの顔に諦めの色が浮かんだ。あの幼馴染は何も気にする事無く話してしまいそうである。 ラディスはにこにこしているラウディを見た。短髪の赤い髪の青年は無邪気な笑顔でこちらを見ている。自分より年上であるはずだが、その表情は少年のようである。 エランから得ていた資料によると、彼の得意分野は情報収集となっていた。その情報の確かさは優秀であると評判だとエランも言っていた。その能力は、仕事以外にもいかんなく発揮されるようである。 エラン以外にも油断のならない奴が増えた……。 ラディスはそう思うと何だか胃が痛くなる思いがした。 「ラウディ!もういい加減にしなよ!」 銀髪のポニーテール娘がラウディの服を引っ張りズルズルと引きずってラディスから引き離す。その表情は呆れ果てた顔だった。 「レシィ!何すんねん!」 「これ以上、人に迷惑かけるような事するな!子供じゃあるまいし。 隊長、ご迷惑をかけました」 レシティアはラディスにぺこっとお辞儀すると、ラウディをずるずると席まで引っ張っていく。レシティアは魔導師ではあるが、中背ではあるものの男のラウディをずるずると引っ張れるあたり、結構力が強いようだ。 ラウディを席に着かせると、レシティアはアリアの隣である自分の席に戻る。そして、状況をおたおたと見守っていたアリアににっこりと笑いかけた。 「悪かったな。ラウには後でちゃんと言い聞かせておくから」 その言い方は、まるで飼い犬をしかっておくと言っている飼い主のようで、アリアは思わず笑みが零れた。 「……俺、レシィの犬やないもん」 ラウディがいじけたような視線でレシティアを見る。それに対して彼女は余裕の笑みを浮かべた。反論は受け付けないといった感じである。 「おはようございます」 透き通った声と共に扉が部屋の扉が開いてセレスが顔を出した。そしていじけているラウディを見つけて、レシティアに視線を移す。 「何?またレシィがいじめたのか?」 「いじめたんじゃないって。叱っただけ」 セレスの言葉にレシティアは手を横に振りながら答える。それを聞いてラウディがまたしゅんと小さくなった。それを見てセレスは苦笑する。 部下達のやり取りを遠目に見ていたラディスは時計に目をやって時間を確かめる。 そして手をぽんと叩いた。 「ほら、仕事が始まるぞ。今日は一通り、書類関係まとめて貰うからな」 そう言うと、各自に資料を手渡し始める。 こうして一日は始まったのだった。 |