第四章 復活 カームはロヴンの言葉どおり、ディズレットの廃屋に来ていた。その手には、あの呪われた魔導書がしっかりと握られている。 アテナには済まない事をしてしまったが、どうしても彼女を助けたかったし、この呪いのサイクルを解いてしまいたかった。 何もかも終わりにしたかったのだ。心からこの呪いを断ちたかった。 カームはディズレットの屋敷の机の上に魔導書を置くと、ページを開いていく。ゆっくり読んでいる間は無い。闇に侵食されていく感覚が支配しているのだ。 カームは目的のページを急いで探し始める。必ずあるはずなのだ。そのページが。 カームは焦る気持ちを抑えながら、ページを捲っていった。 そして、目的のページに辿り着く。 それは死者との交信を行う呪術が書かれているページだった。 ディスレットの目的はおそらく自らの復活だが、同じサモナーであっても例外なく死に至らしめている。 となれば考えられるのは一つだけだ。 彼とコンタクトを取る必要があるのだ。この本を持って、この呪術を使って。 そして場所も選ぶのだろう。この本を盗み出したホフマンはその事に気がつかなかったに違いない。そうでなければ、おそらくこの事に気がついていたはずなのだ。 勿論、カームはこの本を熟読した訳ではない。だから、絶対そうだとは言い切れない。 それでも、確信に似た思いを持っていた。おそらく、それに間違いないだろうという、確かなもの。 勿論、失敗すれば死は間逃れないのだろうし、自分も呪いの餌食となるのだろう。 その時は、その時だ。 カームはその呪術のページをしっかりと開き、書かれている古代文字を確実に解読していった。 アテナが読めないのは当たり前だった。読むべき人間が魔導師であるように、ちゃんと肝心な事は古代文字で書いてあるのだ。 ちゃんと必要な人間の手に渡るように出来ている。よく考えられた本だった。 カームは古代文字をゆっくりと読み進めていく。 書かれている内容は死の世界とどのようにコンタクトを取るのかが克明に書かれていた。 そして、やはり場所も関係していたようだ。その人物と関わりの深い場所、深い物が必要になると書かれている。 やはり、この場所はディズレットとコンタクトをとるには最適な場所のようだ。 カームは精神を集中する。大事なのはこれからなのだ。 まずはディズレットに会う。そこから始めなければならない。 張り詰めた空気の中、カームは本に書かれていた通りに呪文を詠唱する。 『古より深き絆をもつもの 太古から繰り返されし縁 我はその扉を叩くものなり 我は絆を持つものなり さあ、開け かの世界への扉よ』 カームの言葉に呼応するように足元には魔方陣が描かれていった。白い光は魔法の言葉を刻み、カームを取り囲むようにして円を描いていく。 そして完成したその円からは神々しい光が放たれた。 『我は求めん かの人を ディズレット=ディラ』 カームはその名を呼ぶ。それに呼応するかのように円は光をより一層増し、カームの周りを光の渦で埋めていった。 思ったよりも魔力が要る事にカームは気がついた。身体に重たい重圧のようなものがかかってくる。召喚魔法はあまり使ったことが無いから、ここまで負担がかかるとは思ってはいなかった。 びりびりと全身を襲う重圧に耐えながら、カームは反応を待っていた。 呪文が成功していれば出会えるはずなのだ。この本を書いた人間に。そして呪いをかけて死んでいったディズレット=ディラに。 『……ほう、ついに呼ぶ者が現れたか』 低い声が聞こえた。魔方陣の光はゆっくりと薄れていき、そこには薄く透けた人間の姿があった。 中年の痩せ型の男だった。白い白髪ですらっと長く肩に垂らしている。闇色のローブを着ているのと肌も白いせいで際立って白く見えた。 顔は思っていたような人物ではなかった。カームはもっと皮肉めいた顔をしているのかと思っていた。だが、どちらかといえば、人当たりのいい顔をしている。穏やかで、だけど内面は何を考えているのか見えない顔。 誰かに似ていると思った。 自分だ。カームは反射的にそう思う。 ディズレットは自分に似ているのだ。 『ふふ、いつかは誰かが気付くと思ってはいたが……思ったより早かったな』 低い声で彼はそう言った。 「……貴方がディズレット=ディラですか?」 カームは慎重に問う。まずは本人と確認しなくてはならない。 慎重な姿勢のカームにディズレットらしき男はくすくすと笑って見せた。 『うむ。なかなかに慎重だね。そうだよ、私がディズレット=ディラ。その魔導書を書いた張本人さ』 そう言って彼は机の上に開かれたままになっていた魔導書を指差して笑った。 「……まず、聞きたいのですが……何故、こんな手の込んだ呪いをかけたりしたんですか?」 『ん?呪いについてかい?私を呼ぶ事に気がついた君なら大体見当がついてるんじゃないのかい?』 彼は微笑みながらカームを見ていた。何もかも見透かされてしまいそうな、そういった目つきだった。 似ている。カームはより一層そう思う。 「まずは呪いをかける事によって、この本の重要性を知らしめる事、ですね」 『うむ。それは第一の目的だね。ただ、私が死んだくらいじゃ、この本は焼き捨てられるかもしれなかったからね。この本は大事なんだよ。私の研究の成果が全て詰まっているからね』 カームの言葉にディズレットは頷く。そして、にこりとカームに笑いかけた。 『じゃあ、第二の目的は何か分かるかい?』 その問いかけにカームは答えるべきか悩んだ。それは、ある意味、一番重要な事なのだ。 一番、重要な事実なのだ。 「……呪いをかけ、魔力を吸収し、やがて自らを復活させる事によって、この呪術の偉大さを知らしめる事……ですよね」 カームの言葉にディズレットは微笑んだ。 『うむ。さすがよく分かっているじゃないか。魔力の方は結構、最初に手を焼いてくれたみたいだからね。色んな人間の魔力がこの魔導書には秘められているよ』 そう言って、ディズレットは自らが書き記した魔導書を手にとった。 『だが、魔力が大きすぎてね……ちょっと普通の器では入りきらないんだよ。だから、最低限、私の存在に気がつく人間じゃないといけなかった』 そう言ってディズレットはカームにふわりと近寄ると、顔をつきあわせてにこりと笑った。 『……君はまだ若いね。これからも可能性がありそうだ』 「……貴方の復活するための器に適している、そう言いたい訳ですか?」 カームは重たい口調でそう言った。この言葉が肯定されても否定されてもカームにとっては難しい局面に晒される。 『……悪くはなさそうだよ。可能性がある分、魔力にも耐えられるかもしれないし、あるいは耐え切れないかもしれないし……』 そう言ってディズレットはにっこりと笑った。冷淡な笑顔だった。 『どちらにせよ、私の存在に気がついた。試してみる価値はある』 「……貴方が仮に私に乗り移ろうとして……復活しようとして、その時私はどうなるのです?」 カームは問う。聞いておかねばならない事は沢山あった。これは、最初に聞かねばならない事だ。 『さあ、分からないね。君が耐え切れた時、全てははっきりするさ。君が耐え切れなければ、そこで君は死んでしまうし、耐え切った場合、どちらの意思が残るのかは実は私にも分からないのだよ』 そう言ってディズレットは著書をひらひらと振ってみせた。 『……君はどこまでこの本を読んでくれたのかは分からないけれどね、私も乗り移る所までしか分からないんだよ。私はそれが自らの復活になると信じているが、実際はそうはならないのかもしれない。これは試してみたことがないからね』 そう言うとディズレットはカームの肩に手を置いた。 『君にも分かるだろう?これは賭けなんだよ。勝つか負けるかはやってみなければ分からない。君は私にコンタクトをとる事に気がついた。呪いを解く一端を握った事になる』 「呪い……呪いはどうなるのです?以前、魔力の無い人間が触ったケースで助かった例がありますが……今回もそうなるのですか?」 カームは聞かなければならないもう一つの事を聞く。 アテナを助けたいと思ったのは本心だ。これが解決されないのであれば、ここまでした価値も無くなってしまう。 『魔力の無い人間にはあまり興味がないからね。魔力が吸収できないと判断した場合、まれに外れるケースがある。多分、それだろう。今回……というと、少し前までの所持者だったあの女の子に関してか。分からないね。あの子には微力ながら魔力を感じる。解けるとすれば一つだけだ』 「……それは?」 ディズレットは冷たく微笑んだ。 『君が私に身体をくれて、復活できた時だよ』 冷たい笑みだった。凍りつくような笑顔にカームも背筋が寒くなった。 果たして耐えられるのだろうか。それは分からない。ディズレットも分からない。 最悪の結果の場合、アテナも自分も助からないのだ。 だが、実際の所、選択肢は一つしかなかった。カームがディズレットを呼び出したその時から。 ディズレットは乗り移る気なのだ。カームの身体に。例え、それがどういう結果になろうとも、それが彼の研究の最後の結果となる。 その気持ちは分からないでもなかった。 カームがこの魔導書について調べる時も同じような気持ちだった。 知的好奇心の方が強かった。何かを知る、その喜びの方が大きかったのだ。 だが、今は違う。 助けたいのはアテナなのだ。 だが、選択肢は一つしかない。 受け入れるしかないのだ。 『……さて、乗り移る前に聞いておかないといけないな。君の名前は?』 「……私の名前はカーム=ウェルステッド」 誘導尋問と同じだった。カームはディズレットに言われるままに答えるしかなかった。 カームの答えにディズレットは笑顔で応える。 『そうか、カーム君か。よく覚えておかなければならないな。もしかしたら、君の身体のままになるかもしれないからね。君の名前をかたるかもしれないけどそれも構わないよね?』 「……最初からそのつもりなのでしょう?」 カームは蛇に睨まれた蛙のような心境でありながらも、態度を強くもった。ここで飲み込まれてしまっては、本当に負けてしまう。 「貴方の研究はこの呪いを終わらせて復活する事で完成する。貴方の本はまだ不完全なんですよね。私には分かります。だから貴方は復活にこだわるのでしょう?」 『……うむ、これはいい器に当たったかもしれないな。そこまで分かっていれば十分だ。私になるに相応しい器だよ』 ディズレットは微笑むとカームと再び顔をつきあわせた。 『……では、最後に聞いておくことはあるかい?』 「……アテナさんを、彼女を助けてください」 カームはそうはっきりと言った。これだけは言わなくてはならない事だったから。全てはそれに起因しているのだから。 『……ふむ、それが君の最後の願いか。ならば出来るだけ善処しよう。それでいいかい?』 そう言ってからディズレットはくすくすと笑った。 『しかし、まさか、最後の願いが人助けとはね……。彼女に惚れたか、カームとやら』 「……さあ?でも、彼女は私を生かそうとしてくれたんです。ならば私もそれに答えるべきだと思うのです」 それは素直な気持ちだった。アテナに惚れているかと聞かれたら、もしかしたらそうなのかもしれないとも思う。必死で生きようとしている彼女も、死を間際にしても誰かを危険にさらさないようにしようとした彼女も……カームにとっては大きな存在だった。 でも、今はそんな事はどうでもいいのだ。 彼女が助かるのなら、それでいい。 「彼女が死ななければ、私がどうなろうと本望です」 カームはそうきっぱりと言った。それを不思議そうな顔でディズレットは見ていた。 『ふむ。私には分かりかねるがね。でも、それが望みというのなら、叶えられるのなら叶えてやろう。私の実験に付き合ってもらうのだ。そのくらいはしてあげても良いだろうからね』 ディズレットはそう言うと、カームへと手を伸ばした。低い声がうなるような音を立てカームの身体は身動きが取れなくなった。 呪文を唱えているのだとカームは気がつく。あのうなるような声は何か未知の呪文なのだ。ディズレットにしか分からない魔法なのだ。 だんだんと身体の自由が利かなくなってきていた。動こうとしても、身体が言う事をきいてくれない。動けない苦しさにもがくような顔つきになるカームにディスレットはにやりと笑った。 そしてカームの前に降り立つと、そのまま身体を重ねた。 「うわああああ!」 物凄い力の流れがカームの全身を襲う。魔力が自分の身体の中を暴れまわっているのが分かる。意識を保っているのも難しいくらいに激しい痛みと重圧のようなものが全身を襲っていた。 ここで気を失ってなるものか。 カームは最後の抵抗を必死で続けていた。 あのディズレットの思うがままにはなりたくはなかった。だから、必死で抵抗をしようと意識を保とうとした。 「こっちだ!」 アテナはロヴンを引っ張りながら、丘を目指していた。丘の上にあるディズレットの屋敷が目的地だ。 幸運な事にロヴンはこの町、デイジャに来たことがあった。なので、カームが十八番のように使っていた移動魔法も使う事が出来たのだ。 だが、丘の上には行った事は当然無い。あの廃屋は人を惹きつけるものは何もなかった。彼が行った事がなくて当然だろう。 だから、アテナはデイジャに辿り着いてからはロヴンをディズレットの屋敷に誘導しなければならなかった。 幸いといえば丘は街から比較的近い事だろうか。アテナが全速力で走れば、もっと早く辿り着くのだろうけれど、ロヴンの足は遅い。それを置いていくのもためらわれて、アテナは彼を引っ張りながら、屋敷に向かっていた。 「カームは何をしようとしているんだと思うんです?」 引っ張りながら、アテナはロヴンに尋ねる。強力に彼女に引っ張られているロヴンは必死な顔をしながらそれに答えた。 「何か答えを見つけたような事を言っていたからね。あの本にある何かをしようとしているのだろう」 「あの本……嫌な感じがする!あたしはあれを読む事はほとんど出来なかったけど、それだけは分かる。無茶なことをしてなきゃ良いんだけど……!」 あの穏やかそうな顔をしているカームだが、内に秘めている意志の強さはアテナも感じていた。彼なら無茶しかねない。 なんとか止めないといけない。 もう、呪いが彼に移ってしまっているのは分かっていた。 随分身体も軽くなっていたからだ。 呪いを受けてから眠れなかっただけではなかった。常にどこか闇に引き込まれそうな感覚があった。 今はそれが無い。おそらく呪いが移行しているのだろう。 いや、もしかしたら移行してなく、伝染しただけかもしれない。それは今日が終わってみないことにはアテナにも分からない。 だが、カームが何をしようとしているのかは分からなかったが、このまま死なせる訳にもいかなかった。 自分のせいで誰かが死ぬのが嫌だとかそういう感情はもう無かった。 ただ、カームという一個人に死んで欲しくなかったのだ。純粋にそれだけの気持ちだった。 カームはどういう理由であるのかは分からないけれど、それでもアテナのために一生懸命尽くしてくれていた。 こんな形で彼を失うのが嫌だった。 あの廃屋に駆けつけたところで何が出来るか分からない。 何か出来るとも思えない。だから、ロヴンを連れているのだが、ロヴンがカームを助けられるのかといったらそれも分からない話だった。 分からない事だらけだ。だけど、じっとしていられなかった。 ただ、カームを助けたかった。死なせたくなかった。それだけの気持ちでアテナは走っていた。 廃屋が見えてくる。その廃屋を見て、アテナは足を止めた。ロヴンが急に止まったのだ。 「どうしたんですか?」 「……中から凄まじい魔力を感じる。何かが中で起こっているんだろう」 ロヴンの言葉にアテナはいてもたってもいられなくなった。 廃屋に駆け寄り、かつて自分が破壊した入り口を探す。どこだったか、どうしてすぐに思い出せないのか。 アテナは焦りを感じながら入り口を探した。 廃屋を回る途中で強烈な光が漏れている場所に気がついた。 あそこが入り口だ。 アテナは駆け寄って、中に飛び込む。 その中ではカームが光の渦の中で宙に舞うように浮いていた。 彼の顔はうつろな表情で、何が起きているのかは分からない。 「カーム!」 アテナは彼の名前を呼んだ。 「カーム!」 名前を呼ぶことしか出来なかった。名前を叫ぶ事しかアテナには出来なかった。 でも必死で名前を何度も何度も呼んだ。 「カーム!」 もう一度、呼ぶ。 「カーム!」 涙が頬を伝うのをアテナは感じていた。 何が起きているのかは分からなかったが、カームがこのままどうにかなってしまいそうな事だけは分かったからだ。 「カーム君!」 ロヴンがかけつけて、アテナの後ろで彼の名を呼んだ。 ロヴンの声を聞いて、アテナは振り返り、彼に掴みかかった。 「何がどうなってるんだ?」 「それは私が聞きたいくらいだ」 ロヴンは困惑した表情でそう答えた。 アテナはロヴンを捕まえていた手を離して、再び宙に浮いているカームに視線を移した。 「……カーム!」 名前を呼ぶことしか出来なかった。 駆け寄ろうとしても何かの力がアテナを押し返すのだ。 「カーム!」 名前しか呼べなかった。名前を呼ぶのが精一杯だった。 だが、宙に浮き、うつろな表情をしていたカームの表情が少し変わった。 「……アテナ……さん?」 彼はアテナの名を呼んだ。小さな、消えてしまいそうな声だったが、確かにアテナの名を呼んだ。 それに対してアテナは必死で叫び返す。 「そうだ、あたしだ、アテナだ!」 アテナは必死だった。とにかくカームの意識をはっきりさせたかった。 「カーム、あたしだ、アテナだ!あたしはここに居る、ここに居るから!」 アテナの必死の叫びに、カームの表情が少し緩んだ。 「……ああ、ばれちゃったんですね」 あまりにもカームらしいその言葉に、アテナは必死の思いでいるのに神経を逆撫でされた思いがした。 「ばれるに決まってるだろ!」 アテナは頭に来て、必死で叫び返した。 「あんたこそ、何やってるんだ!あたしの許可無しに無茶苦茶して……!」 涙が零れてきた。アテナは流れる涙をそのままに必死で叫んだ。 「……だから、帰って来い!」 その言葉に、カームの表情がふわりと微笑んだ。いつものカームの笑顔だ。 「……大丈夫ですよ」 そう言うと彼の身体は少しずつ、宙から舞い降りてき始めた。 溢れるような光は彼に吸収されるかのように収まっていき、カームはとすんと地面に着地した。 そして、着地したと思った瞬間、がたりと崩れ落ちた。 慌ててアテナは駆け寄る。今度は邪魔するものは何も無かった。 アテナはカームに駆け寄ると、彼を抱き上げた。意識を失っているらしくて、目を覚まさない。ぴくりとも動かなかった。 「カーム!しっかりしろ!」 アテナは、ぐらぐらと彼を揺らして、意識を取り戻させようとするが、ぴくりとも動かないのには変わりが無かった。 だが、身体は温かく、心臓の動く音は聞こえる。 ……大丈夫だ、生きている。彼は死んではいない。 アテナは安堵の息をついた。 そんな彼女の肩に優しく手を下ろす者が居た。ロヴンだった。彼は優しくアテナに微笑みかけた。 「……大丈夫だ。とにかく、終わったんだろう。どこか、彼を休ませてあげよう」 その言葉にアテナはこっくりと頷いた。 翌朝、アテナはデイジャの宿屋で目を覚ました。 「……やっぱり、生きている」 アテナは自分が生きている事を実感する。本当だったら、死んでいたはずだ。 呪いは解けたのだろうか。 呪いといえばカームは目を覚ましただろうか。安静にさせた方が良いというのと、アテナ自身が疲れきっていたために、本当は付き添っていたかったのだが、それはロヴンに任せて、アテナはアテナで一人で休んでいたのだ。 廊下にでて、カームを休ませている部屋に向かう。扉の前に来てから、コンコンとノックをした。 「入って良いですか?」 「ああ、どうぞ」 アテナの言葉に、ロヴンの返事が聞こえた。それを聞いてから、アテナは扉のノブに手をかけて、中に入った。 部屋の中では、カームはまだ眠ったままだった。傍にロヴンが付き添っている。 「まだ、目を覚ましませんか?」 アテナの問いに、ロヴンはゆっくりと頷いた。 「ああ。身体にかなりの負担がかかっているらしい。まだ、眠ったままだよ」 アテナは聞きたいと思っていた事をロヴンに尋ねてみる事にした。 「呪いは……あたしの呪いは解けましたけれど、カームの呪いは解けたのでしょうか?」 その問いにロヴンはゆっくりと首を横に振った。 「……それは、残念ながら分からない。だが、彼に起こった変化なら分かることがある」 「変化……ですか?」 ロヴンの言葉にアテナは問い返す。アテナにはカームに何が起こったのかも、何が変わっているのかも分からないからだ。 「魔力のレベルが上がっているようなんだ。もともと才能のある魔導師ではあったけれどね、急激にそのレベルが上がっている。何が起きたのかは、彼が目を覚ますまでは分からないね……」 「その魔力のレベルが上がるとどうなるんですか?」 アテナの問いにロヴンは優しく微笑んで答える。 「君が格闘の腕が上がるだろう?それと同じ事さ。それが急激に上達したのと同じ状態になっている、そういうことだよ」 ロヴンの分かりやすい説明のお陰でアテナも状況を理解する。 とにかく、あの廃屋で何かがあって、それによってカームは魔導師としてのレベルが上がったらしい。だが、それによって何が起きたのかは、いや、それまでにも何があったのかはカームしか知らない所なのだ。 アテナは眠っているカームを見た。穏やかな表情で眠っている。心配するような状態でもなさそうだった。 「ロヴンさん、あたしが付き添い代わりますよ。眠ってらっしゃらないんでしょう?」 アテナはそう言ってガッツポーズをとってみせる。 「あたしはばっちり眠って元気を蓄えましたから。だから、しばらくこいつの面倒くらいみますよ」 そのアテナの元気な笑顔にロヴンは安心したような顔をした。 「……そうか、君も元気になったか。それはカーム君も喜ぶだろう」 ロヴンはカームがいなくなる前に言っていた言葉を思い出す。 初めて誰かを守りたいと思ったと。 その彼女が元気でいる事は、カームにとって、何よりも嬉しい事だろうから。 「……それではお言葉に甘えて少し眠らせてもらうとするよ」 ロヴンはアテナに座っていた椅子を譲る。アテナはそこに座って、カームを見下ろした。 すやすやと眠っている感じだった。何も起きているようには見えない。それでも彼には大きな変化が起きたというのだから不思議なものだ。 魔法が使える者と使えない者とではそれだけ感じ方に差があるのだろう。 ロヴンはカームの隣のベッドに身体を横にして眠り始める。 アテナはカームの顔を見ながら、彼が目を覚ます時を、心待ちにしていた。 大丈夫だと彼は言っていた。 きっと、何もかも上手くいったんだろう。そう信じるしかアテナには方法が無かった。 自分のためにここまでしてくれて、結果的にアテナは呪いから逃れる事が出来た。 カームの呪いが解けている、それを祈るだけだった。 ただ、それを心から祈る事がアテナに出来るただ一つの事だった。 その日の夕方、カームはゆっくりと目を覚ました。 隣にはアテナが疲れた顔で椅子に腰掛け、眠っている。首を横に向けば、ロヴンが眠っていた。 何故、自分はここに居るのだろうかとカームは考える。そういえば、アテナやロヴンが駆けつけてきたような気がした。それで、そのまま宿に連れてきてくれたのだろうか。 「あ、カーム。目を覚ましたのか?」 アテナが気がついて、カームに掴みかかるようにして飛びついてきた。それにカームは驚いて顔を赤くする。 「ア、アテナさん?何をするんです?」 そんなカームにお構い無しにアテナは彼にくってかかるようにして、しがみついた。 「呪いは?あんたにかかった呪いは解けたのかい?」 必死のアテナの訴えにカームはきょとんとした顔をしてから、不思議そうに首をかしげた。 「……私の意識があるという事は、多分解けたんじゃないかと思うんですけど……」 「……多分ってどういう意味だ!」 カームの曖昧な返事にアテナは食って掛かるようにそう強く言った。アテナにとっては死活問題だ。それなのに当の本人は暢気なものだ。 「つまり、彼の実験は失敗だったっていう事ですよ」 そう言ってカームはいつもと同じ、優しい笑顔で笑った。 そう言われても意味が分からないのはアテナの方だ。ディズレットの屋敷に辿り着いて、カームは宙に浮いていて近寄れもしなくって……それなのに、なんてこの人は暢気に回答するのだろうか。 「そんなんじゃ、分からないだろ!」 「うむ。私も分からないな……」 叫ぶアテナの声に続いて、カームは背後からの声に気がついた。いつの間にかロヴンが起きていた。二人のやり取りで目を覚ましたのだろう。 「ロヴン様。ロヴン様にまでご迷惑をおかけしまして申し訳ありません……」 そう言ってカームは頭をぺこりと下げた。それにロヴンは構わないよと手を振って応える。 「いやいや、気にする事はない。君が無事だったんだからね」 そう言うとロヴンもアテナの隣にやってきて、椅子をもう一つ持って彼女の隣に座った。 「さて、私も詳しく話を聞かせてもらおうか。分からない事だらけだからね」 ロヴンの言葉にカームはこっくりと頷いた。 「ディズレット=ディラは復活を望んでいるのだと、ずっと思っていました。そして彼の家の日記を発見して、その中に書かれていた彼の言葉でそれがより確信へと変わりました。あの本はまだ完成している訳ではなくて、実験の途中なのではないかとも思うようになりました。同じような能力者が呪いにかかっても同様に死んでしまったからです。では、必要なのは何か。呪いで取り殺されるのではなく、彼が復活しようとするために必要な手順は何か、それを私は考えました」 そこまで言うと、カームはアテナの顔を見て苦笑した。 「その手順を知るには本を見る必要がどうしてもありました。おそらく、彼は死後の世界とのコンタクトの取り方を知っていたはずです。だからネクロマンサーの術などを記したのでしょう。ですから、私はその本におそらく書かれてあるであろう、死者とのコンタクトの魔法を知る必要があったのです」 「それで、本を渡さないあたしにスリープの魔法をかけて盗んだって訳だね」 アテナは引きつった顔でそう言った。その顔にカームは苦笑する。 「ええ、その通りです。そして、ディズレットの屋敷に向かいました。書かれていた呪術はコンタクトを取る人間と関わりの深い何かが必要だと書かれていましたので、彼の屋敷に向かったのです」 「そこで、ディズレット=ディラ本人に出会ったというわけだね」 ロヴンの言葉にカームは頷いた。 「ええ。そして、彼の目的は自分の存在に気がつく術者の手に渡り、自らが乗り移る事で復活する事を最終目標としていたのです。私にあった選択肢は彼に乗り移られた後に生きているか死んでいるかの二つしかありませんでした。結果、こうして生きて私の意識があるという事は彼の実験は失敗したのでしょうね」 カームのその言葉にロヴンは首を横に振って見せた。その行動にカームはきょとんとした顔をする。 「君は自分の魔力レベルが上がっている事に気がついていないのかい?」 「え?」 そう言われてカームは思わず自分の両手を見てきょろきょろと体中を見回した。 「え……えっと、特には変わった感じはしないんですけど……私の魔力、上がっているんでしょうか?」 その問いにロヴンは頷く。 「ああ、上がっているよ。格段にね。おそらく身体に滲んでしまっているんだろう。それで違和感が無いのかもしれないな」 「私の……魔力が上がっている?では、彼の実験は失敗した訳ではなく、私の意識が勝ったという事……?」 そう言って、カームはあの魔力の渦に飲み込まれていった時の事を思い出す。負けてはならないと、必死で意識を保とうとしていたが、それも凄まじい魔力によって、時には意識がもうろうとすることも多々あった。だが、その意識は自分を呼ぶ声で戻ってきたのを思い出す。助けようとしていたアテナの声だった。 アテナが必死で自分の名前を呼んでいた。それを思い出す。その時から押しつぶされそうな魔力から自らの意識がはっきりしてきたのだ。 「……アテナさんの声が」 「あたしの声?」 「……アテナさんが私を呼ぶ声が聞こえて……それで私の意識が戻ったんです」 そう言ってカームはアテナに優しく微笑みかけた。とても感謝している、そういった笑みだった。 「あの時、アテナさんが来てくれて……アテナさんが私の名前を呼んでくれたから、私は意識を保ってディズレットに勝つことが出来たのかもしれませんね」 カームはそう言うと、アテナに軽く頭を下げた。 「先走った勝手な行動をしてしまった私を心配してくれてありがとうございました。貴女のお陰で今の私はあるのです」 感謝の言葉を言うカームにアテナは慌てて首を横に振った。 「ち、違う!あたしの呪いが解けたのはあんたが頑張ってくれたからだ!あんたが居なかったら、あたしはあのまま何も知らずに死んでいたんだ。礼を言わなきゃいけないのはあたしの方なんだ」 そう言ってアテナは真っ赤な顔になった。お礼を言われた事と、これから自分が言わなきゃいけない事、両方がアテナの顔を赤くさせた。こういう事は慣れていない。 「……ありがとうな、カーム。あたし、凄く感謝してるんだ」 アテナの言葉にカームは嬉しそうに微笑んだ。優しい笑みだった。包み込むような優しい笑みだった。そう、彼らしい微笑だった。 「まあ、今回は私の出番は無かったようだけど、お互い良い相手に出会えたのが良かったな」 そう言ってロヴンは笑った。 「これも何かの縁だろう。お互い、命を懸けて戦った仲なんだし……この際、お付き合いしてみるとかはどうだ?」 からかい半分でそう言って笑うロヴンにアテナもカームも真っ赤になって首を横に振った。 「そ、そ、そ、そ、そんな関係じゃありませんよ……!」 「そ、そ、そ、そうだよ!どうしてあたしがこんな無茶苦茶な事をする奴となんか……」 「無茶苦茶するのはアテナさんじゃないですか!何でも力任せにしてしまって、困った事があっても自分で抱え込んでしまって!」 「何言ってんだい!無茶苦茶なのはあんたの方だろう?自分で勝手に何でも考えて頭でっかちでさ、理論尽くめで話進めて、確証も無いのに無茶なことしでかして!」 照れていたはずの二人はいつの間にかお互いの欠点を言い争っている。 そんな二人をロヴンは優しく見つめていた。 |