プロローグ 少年は追い詰められていた。 誰よりも信頼し心を寄せている父と母は、少年の傍で苦しい息をしていた。二人とも体中に傷を負い、血が酷く流れていた。 必死で少年は止血を行っていた。 父と母は少年ともう一人の少女でここまで連れてきたのだ。 小さな二人が大人を運ぶのは並大抵の事ではなかったが、彼らしか運べる者がいなかったからである。 なんとか応急処置を済ませ、少年は少し安堵の息をつく。 幼いころからいざという時のためにと両親に教わった事が、こんな形で役に立つなんて運命の皮肉だろうか。 それでも、これで失血死は防げる。これだけでも随分違ってくるのだ。 後は早く医師の所に連れて行かねばならない。 深い闇に包まれた森の中にある、この薄暗い洞窟。両親を運び込むには丁度良かったが、ここから村まで引き返す事も、医師を呼んでくることも子供には難しかった。 それに、外には出られなかった。 少年たちは逃げてきたのだ。あまりにも激しい戦いから。 「……どう?手当ては出来た?」 少女が少年に声をかける。心配そうな顔だ。少年はこっくりと頷く。 「……なんとか。でも早くお医者さんに診てもらうなりしないと……」 少年は不安そうに答える。実際、怖くて仕方がなかった。 いつも傍に居て、護ってくれていた両親が今は傷つき、倒れている。少年にとっては絶望的な心境だった。 「……まずいわね。外も相変わらずよ……私に回復魔法が使えたらいくらか違うんでしょうけれど……」 少女は厳しい状況に顔をしかめた。 彼女は、両親の手当てに追われる少年に構うことなく、じっと外の様子を伺っていた。 勿論、少年としては手を貸して欲しかったのだが、彼女が外を見てくれているのはありがたい事でもあった。 外には彼の両親を傷つけたものがいた。 彼の両親と同行していた彼女の親族や仲間は今もそれと戦っている。 ……だが、少女の顔を見る限りでは戦況は芳しくないようだった。 彼女の親族達は、少年の両親に案内されてそれを退治しに来たのだ。そう、いわば精鋭部隊だった。 案内をかってでた少年の両親たちもまた戦闘能力に長けた人達であり、村の集会で選ばれたくらいであった。 しかし、それは本当に強いのだろう。 最初に少年の両親は傷ついたため、少年と少女は彼らを運び逃げて来たのだ。戦況が芳しくないままなのであれば、怪我人はもっと増えているだろう。 助けを呼びに行くこともままならない。 それは絶望的な状況だった。勿論、自分達が無事でいられる保障すらない。 「……お爺様だけでは駄目ね」 厳しい顔で外の様子を伺っていた少女は、少年には聞こえないような声で呟く。その顔には深い決意が刻まれていた。 少女は少年の方を振り返る。彼は変わらず両親の手当てをしていた。 助けを求められない以上は、やれるだけの事をするしかない。 少女は切なそうに少年を見ていた。まるで自分の事のように辛かった。 少女は少年の一家を救いたかった。 彼女が少年達一家と共に来たのは逃れるためではなかった。彼女は彼らを護るために共に来ていたのだ。 でも、待っているだけでは駄目だ。行動に移さないと。 だけど、ここをそのままにしておくのは不安でもあった。 ならば、託すしかないだろう。あの小さな少年に。 彼も、あの人達の息子なのだ。なんとか出来るに違いない。 「ねえ、よく聞いて」 少女は少年に話しかける。その真剣な表情に、少年は固い表情で頷いた。 「あなたにここを任せるわ。私はお爺様の所に行ってアイツを倒すから」 その突拍子もない言葉に少年は驚く。少女は少年と大して歳が変わらなかったからだ。どう見たって九・十の年の頃だ。大人が何人もかかって苦戦を強いられているのに、彼女が一人加わった所で何が変わるというのだろうか。むしろ彼女が危険な目にあうだけだ。 「なに言ってんだよ!危ないから逃げろって言われたんだ!どうしてそんな危険な事をするんだよ!」 少年の訴えに少女は少し驚いた顔をする。彼女にとって少年の反応は意外だったらしい。だが、すぐに納得のいった顔になった。 少女は優しく微笑む。心配をしてくれたことを感謝するように。 「大丈夫。私には奇跡の神様がついているの」 そう言うと、少女はぱっと外に飛び出して行った。 少年は慌てて止めようと、洞窟を飛び出す。どう考えても無茶だった。 止めないと。 その思いが強すぎて、少年は自ら危険な場所に飛び込んでいっているのに気が付いていなかった。 両親は苦しんでいる。もうこれ以上誰かに傷ついて欲しくなかったのだ。その思いが少年を突き動かしていた。 必死で駆けて少女を追う。想像以上に素早い動きに翻弄されながらも、必死で追った。 やっと追いついたとき、彼女はそれの前に立ちはだかっていた。 止めようのない状況に、さすがに気が付く。 少年は次に起こるであろう惨状を思い、ぎゅっと目をつぶった。 だが、目を瞑っていても感じるほどまばゆい輝きに少年は目を開ける。 少女は光り輝いていた。 その輝かしいばかりの光はそれを包み込み、それはまばゆい輝きの中で苦しそうな悲鳴を上げる。 少女の表情は真剣で、幼い顔立ちの中に凛々しさと強い意志が感じられた。 少年は引き付けられるように彼女に見入っていた。 彼女は輝き続けていた。彼女を取り巻くように輝く光は、明らかに彼女から発せられ、彼女の金色の長い髪はさらにその光で眩いばかりに輝いていた。 少年はその光が彼女の魔力からに因るものだと気が付いた。魔法には詳しくはないが、そう思えたのはその光が確実にそれを苦しめていたからだった。 彼女の周りでは何人もの人間が傷つき倒れ、動けるものは彼女に全てを託したのだろうか、手当てに回っていた。 何人もの大人が挑んでも駄目だったというのに、小さな少女は確実にそれを追い詰めていた。 少年は全身が震えるのを感じていた。 それは恐れから来るものではなかった。それは今まで感じたことの無い強さに対する尊敬と畏怖のものだった。 信じられなかった。自分と歳も大して変わらない少女があんなにすごい力を持っているなんて。そう、自分と歳も変わらないのにあんなにすごい人がいるなんて。 光を放ち続けたまま、少女は瞳を閉じ、集中する。新たな魔法の詠唱に入ったようだった。勿論、それによって彼女の攻撃が止むことなど無い。 苦しそうな雄叫びの中、少女は新たな光をそれに向かって放つ。眩い光が辺りを覆い、視界が真っ白になった。 耳を突く、高音が鳴り響くと、それは細かい光へと砕け散った。 光に囲まれた少女は彼女の金色の髪と合わさって、まるで女神の様であった。 少年は彼女の言葉を思い出していた。私には奇跡の神様がついていると。 違う。そう思った。 彼女に奇跡の神様はついていない。彼女が奇跡の女神なのだ。 少年は初めて、女神を見たと思った。 |