第4章 絆


 空はまだ暗い闇を湛え、これから昇ろうとする光がその闇を少しずつ打ち消していく。
 風はまだ冷たく、通りにはまだ誰も出歩いていない。
 街を囲う城壁へと辿り着き、門番に開門を願い出る。必要な証書の有無を問われたが、騎士であると、その証である紋章を見せると、すぐにその願いは聞き入れられた。
 本当は門など通らずに乗り越えて街から出ようかとも考えていたのだが、急に居なくなった事に気付かれ、その事で騒ぎになっては戻った時が厄介だ。
 問題無く門を通る事が出来、ラディスはほっと息をついた。
「……おはよう、ラディス」
 門を抜けてすぐに声をかけられる。その聞き覚えのある声に慌てて振り返った。
 城壁に寄りかかるようにして薄紫の髪の女性が立っていた。軟らかいローブの下には薄手の皮製の服を着込み、傍には色々入っているのがふくらんだリュック、そしてその手には戦いにも使える金属製のロッドが握られている。
「アリア?」
 さすがのラディスも状況がさっぱり分からず、目をぱちくりとさせる。
 誰にも言わずに出てきたはずだし、ロキルドの一件についても話していない。勿論、今回はエランにも何一つ話していないはずだ。
 だが、アリアの様子から察するに、彼女は彼を待ち構えていたようである。
 それも、どこに行こうとしているのか分かっているような姿をして。
 驚いたラディスの顔を見て、アリアが満足そうに微笑む。
「あら、今日は珍しく一泡ふかせられたようね」
 もっぱらラディスに振りまわされていたアリアは彼の驚きが殊の外嬉しかった。いつも驚かされてばかりでは割に合わない。
「……なんでお前……」
 まだ状況を理解できないラディスは、混乱した表情でおたおたとしている。
 アリアは下に下ろしていたリュックサックを背負うと、にっこりと笑った。
「昨日ね、エランに頼まれたのよ。あなたを見張っておくようにって。
 それに加えて夕べの騒ぎじゃない?
 何かあるんじゃないかって思ったのよ。だからちょっとラウディさんに頼んでね」
 アリアは微笑みながら、すっと封書を取り出し、ラディスに見せる。
 その封書はロキルドから渡されたものと同一のものだった。
 それを見てラディスは慌てて自分の持っているはずの封書を懐から取り出した。昨日渡されたものと同じ薄い青色をした封筒。ラディスはアリアの持っている封書を横目で見る。
同じ封筒だ。
 だが、アリアはラウディに頼んだと言っていなかっただろうか。まさか……。
 慌てて封筒の中身を確かめる。出てきた便箋には……
『少しは部下も頼ってええやろ?』
 そう大きな字で書かれていた。つまり……。
「いつの間にすり替えたんだ、あの野郎!」
 警戒は常にしているはずなのに、どこかでその隙を付かれたらしい。確かに優秀な腕ではあるが、こういうことになるととてつもなく厄介な相手だ。
 そう、つまり本物はアリアの手にある。
「一人っきりで行くつもりだったんでしょう?そうは行かないわよ」
 アリアはにっこりと笑ってラディスに強い口調でそう言う。そういえばカームも怒っている時はこういう顔をしていた。……つまり、顔は笑っているが怒っているのだろう。
「……引き止めたって、行くからな」
 アリアの顔にカームの顔が重なって見えて、ラディスは複雑な顔でそう言った。どうにも幼い頃からの習慣で、この手の表情は怖いのだ。
 だが、引き止められたって行く事には変わりがない。
 頑として意志を翻さないラディスに、アリアも動じる気配は無かった。
「でしょうね。昔から言い出したら聞かなかったし。
 だから、私も一緒についていくわ」
 そう言ってアリアはにっこりと微笑む。
 ラディスはその言葉を聞いて、思わず立ちすくんだ。
 そうだ。彼女は小さい頃からそうだった。どこかへ行くと聞けば、自分も一緒についていくと振り払ってもついてきた。
 あれからもう十年経っている。神殿に勤め、清楚な姿をし、虫も殺さぬような穏やかな表情をしながら、それでも中身の方は変わっていないらしい。
 そう、自分の後を必死でついてきていたあの頃と同じように。
「……くくく」
 ラディスは思わず片手で顔を覆う。何だか可笑しくなってきた。
 十年だ。もう十年も経っているのだ。そう、子供から大人へと変わるのに十分な時間が経っていた。
 それなのに……エランもアリアも変わってなんていない。その事が非常に奇妙に思えて可笑しかった。
「くっくっく、あはははははは!」
 腹を抱えて笑い出すラディスにアリアはきょとんとする。一体何がそんなに可笑しいというのだろうか。
 だが、ラディスはアリアの怪訝な顔に気を止めることなく笑い続けている。
 何が可笑しいのかアリアにはさっぱり分からなかったが、彼女も少しだけほっとする思いだった。
 再会してこれまで、ラディスが笑った顔を見たことが無かった。それが、昔と変わらない顔で笑っている。懐かしさと共に安堵の思いがあった。
 そう、彼も変わったけれど……変わらないこともあるのだと。
「お、間に合ったんやな〜!」
 一際元気の良い声が響いてくる。アリアはその人物を見て、にっこり微笑んだ。彼の傍にはレシティアとセレスの姿があった。
 だが、アリアと違ってにっこり笑えない者も居る。ラディスはにこやかに現れた赤髪の青年をじろっと睨みつけた。それに気が付き、ラウディは視線を慌ててそらす。
しかし、そらしてみた所でラディスの怒りが治まるわけではない。ずかずかとラウディの元に歩み寄って、その胸倉をがしっと掴んだ。
その表情は笑っているとも怒っているともつかないもので、ラウディは底知れぬ恐怖を感じる。楽天家のラウディでも、この隊長を怒らせるのは本能的にまずいと分かるからだ。
「……よお、ラウディ。よくのこのこ俺の前に顔出せるな。
 その根性に免じて言い訳くらい聞いてやろうか」
「……その!アリアちゃんに頼まれてやな、隊長の家行ったらなんや仮眠とってはったから……その隙にごそごそ〜っと」
「……何がごそごそ〜だ!無断で人の家に上がりこむな〜!」
 言い訳なのか何なのか分からないラウディの言葉にラディスは怒鳴りつける。思いっきり叱りつけられてラウディはぎゅっと目をつぶり、次の攻撃に対して構えた。こうなってしまっては何が飛んできても文句は言えそうになかった。
 だが、ラウディの予想に反して、ラディスはその手を離す。やれやれと頭を横に振って、ため息をついた。
「……まあ、気を抜いた俺も悪いといえば悪いからな」
 ラディスの言葉にラウディはほっと胸をなでおろす。
「さっすが隊長〜、懐大きいわ〜!」
「次やったら只じゃ置かないからな」
 安心して笑顔になるラウディにラディスは鋭い顔で釘を刺す。それにラウディは苦い顔をした。
次は…相当の覚悟が必要そうだ。まあ、ばれなきゃ良いんだろう、そんな思いも去来したが、それは内緒にしておくことにした。
 ラディスは改めて自分の周りに居るメンバーを見た。
 最初に待ち伏せしていたアリア。事情を知っているラウディはともかく、レシティアやセレスまで居る。全員、戦闘体制の服装と装備もしていた。
「……で、お前達は何でここに居るんだ?
 もしかして、アリアと同じで付いてくるとか言うんじゃ無いだろうな」
 ラディスは呆れながらそう言う。仮にラウディからレシティア達が事情を聞いたとしても、危険だと分かっている事だ。本当に付いてくると言うなら、むしろそれは心配だった。
 だが、心配していた通りの回答が返ってくる。
「そりゃそうや。少しは部下を頼ってもええやん」
「そうですね。ラウの言う通りです」
「我々でも何か出来ることがあるはずですから」
 ラウディ、レシティア、セレスはそれぞれすがすがしい顔でそう言った。その表情の奥には自分に対する信頼がある事に気付き、ラディスはどうしていいか分からない顔になった。信頼してくれるのは素直に嬉しい。それ故に、危険な目にも遭わせたくは無いのだ。
「ねえ、私達でも出来る事はあるはずよ。足手まといにはならないわ」
 アリアが真剣な表情でそう言った。
 ラディスの脳裏にエランが言った言葉が浮かんだ。
『いいか?確かに俺や周りはお前には及ばない。
 だけど、力だけが全てじゃない。一人で無茶だけはするな』
 彼の言っていた事はきっとこの事なのだろうと思った。
確かに力だけではロキルドにはアリア達では手が出ない。それは周知の事実だった。
当然、彼らも理解しているはずだ。
 それでも彼らは来ると言っている。出来る事があるはずだと言う。
 そう、出来ないはずは無い。ラディスもロキルドも育ててきたのは魔導師達だ。
そう、普通の魔導師達なのだ。
「……そうか、あの手があったか」
 ラディスは思い出す。勝算が五分五分の相手に対して、それは非常に有効的な手段だった。勿論、必ず成功する保証は無いのだけれど。
「誰か、地図を持っているか?この近辺の地図だ」
 ラディスの言葉にラウディが頷き、自分の持っていた荷物から地図を取り出した。それを受け取るとラディスは皆の前で広げた。
「もう書いてあった内容は知ってるんだろ?」
 ラディスはアリアの顔を見る。彼女は頷いた。
「ええ。『リフラール遺跡で待つ』でしょう?」
 ラディスはその言葉に頷く。そして地図でリフラール遺跡の場所を指し示した。今、彼等が居る首都レジンディアから北に徒歩で二時間ほど行った所にその遺跡はある。
「リフラール遺跡ってのはバリアが張ってて、内部で何が起きても外には影響が無いんだ。
だけど、外部から内部への魔法は有効だ。実践訓練に連れて行かれた場所だからな。
まあ言ってみれば、魔導研究所のバリアシステムの逆だ。
元はこの遺跡をヒントに開発した魔術らしいけどな」
 ラディスはそう言うと、遺跡のまわりの北、東、南、西に位置する場所を指し示す。遺跡の周りは森で囲まれているのだが、そこだけは不自然に小さな草原となっていた。
「ここの4つが外部からの魔法の拠点だ。それぞれ一人ずつ、この場所に行って欲しい」
同行することを歓迎していなかったラディスからの協力要請に、一同は真剣な表情で頷いた。
「……そこで何をすれば良いの?」
 重要な部分をアリアが訪ねる。ラディスはその言葉にニヤリと笑った。
「奴に力の封印をかける。俺にもかかっている魔法さ」


 リフラール遺跡へ向かう道の途中、深い森の中を進んでいた。木々は覆い茂り、光を求めて枝を伸ばすので森の中にはわずかな光しか漏れてこない。それ故にモンスターも多いので、襲い掛かってくるものに関しては迎撃していっていた。
 ラディスは得意としている魔法を使って戦っていたのだが……同行しているアリアは魔法に長けているはずなのだが魔法を使っていなかった。彼女は大人しそうな外見と反して、ロッドを振り回して戦うのだ。素早く身を振り返し、高く飛び上がっては魔力を込めているロッドで思いっきり叩きつけ、モンスターを退治していっていた。
 そういえば魔導研究所でも、彼女はロッドで戦っていたのを思い出す。あの時は慌てていてきちんと見ていなかったのだが、こうやって改めて見ると年月の流れを感じた。
 四箇所の魔法の拠点。一番近い南側の場所の担当になったのはアリアであり、やっぱりラディスから目が離せないと途中まで一緒に同行する事になったのだ。
 やはり長い間会っていなかったと思った。
 アリアの戦いっぷりにラディスは感心する。やはり、もう彼女は自分の知るアリアでは無くなっていた。エランに写真を渡された時も驚いたものだが、やはりこうして見るだけでも違っていた。
「……やっぱり、あのアテナさんの娘だな」
 ラディスにそう言われてアリアは少し驚いた顔をした。戦っていない時の彼女は穏やかそのもので、とてもロッドを振り回している人間には思えなかった。
「そう?やっぱりそう見えるのね。お父さんも同じ事を言うわ。
 お母さんが亡くなったのは私が八歳の時だから……そこまではっきり覚えていないのよ。元気でたくましい人だったのは覚えているんだけど、強いって印象はあまり無かったのよね。私には優しいお母さんだったから」
 アリアは首をかしげながらそう言った。確かに娘のアリアから見ればそうなのかもしれない。ラディスはアリアより年上で、アテナとは違う付き合いもあったから、格闘家としての彼女を知っていた。アリアを見ていると彼女がだぶるのは、やはりその血のせいだろうと思う。母親に似たのは顔だけでは無いらしかった。もっとも表情は父親に似ているため、穏やかな外見とのギャップはかなりのものだが。
「でも、何でまた神殿に勤めているんだ?小さい頃から信心深い訳でもなかったし」
 そう、アリアの両親は魔導師と格闘家である。そして、あまり信心深いという印象の無い一家だった。それなのに娘は神殿に勤めている。
 アリアはその言葉に苦笑した。
「……そうね。癒しの魔法を学びたかったのもあるけど…神様にすがってみたくなった、っていうのが正しいかもしれないわね。
 母は病気で亡くなってしまったし、同じ病気に弟もかかってしまって……何とかしてやりたくてもお父さんも私もどうして良いか分からなくて」
 アリアは寂しそうにそう言って微笑んだ。それを見て、ラディスは複雑な顔をする。
 そう、彼女の母親は若くしてその命を失ってしまった。聞いた話では、代々、同じ病気で一族の寿命そのものが短いのだと。だから本人は、すんなりとその運命を受け入れたらしい。だが、残された家族の悲しみは言うまでも無かった。その上、弟まで同じ運命だというのなら、アリアが神様に願いをかけるのは分からないでもなかった。
「……アリアは本当に大きくなったと思うよ。
 写真見たときも、あの小さかったアリアがここまで大きくなったんだなって驚いたけど……こうして戦っているところも見ると改めて驚くな」
 ラディスは素直にその思いを述べる。記憶にあるのは十歳の小さな少女。何をするにも背伸びをしていた小さな女の子だった。それが今では随分大きくなって、ロッド片手に敵をなぎ倒すようになったのだから驚く方が大きかった。そして、彼女も色々と苦労してきたのだろう。それが余計に年月を感じさせた。
 一方のアリアはラディスの言葉に驚きを隠せなかった。
 再会した時、彼は驚いた顔一つしなかった。別に何も興味が無いという顔をして、彼女に対して無関心とも思えた。それなのに今彼の言葉から出てきた言葉は驚きの言葉だった。彼が自分の変化に驚いていた事を初めて知った。自分が驚いたのと同じように、彼もそう感じていたことを。
 それならそうと言ってくれても良いじゃない。そう思うが、ラディスは昔から肝心な事を言わなかったような気がした。
「……そういえば、さっき話してくれた封印の魔法……、あなた自分にもかかっているようなことを言っていたわよね?」
 アリアは気になっていた事を口に出す。勿論、話してくれるかどうかは分からないが、聞かないよりはマシだと思った。
彼からすれば自分の変化は驚きだったのだろうが、アリアからすればラディスの変化の方が大きすぎた。知らなかった事も沢山あったのだから。
 尋ねられたラディスはさして気にする様子も無かった。彼にとってはあまり重要な事でもないようだ。
「ああ、俺、魔力をコントロールするのが下手でさ。昔も何度も暴走しかけて…その度に助けてもらったけど危ないからね。あの封印は一番大きくて…先生だけじゃなく、何人もの人にかけてもらったんだよな」
 ラディスは懐かしそうにそう話した。だが、アリアは彼の口から『先生』という言葉が出てきて顔をしかめた。そう、父親は加担者だった。彼を束縛し実験材料とする計画の一因を担っていたのだ。
 ラディスはアリアの表情の変化に気付く。そして、アリアの肩にぽんと手を置いた。
「……やっぱり何か勘違いしてそうだな。心配するなよ。
 俺は先生を恨んだりなんてしてないし、むしろ感謝しているんだから」
 ラディスの言葉にアリアは疑いの眼差しを向ける。やはりその程度の言葉では父親に対する不信感を拭えないようだった。もし、彼女がこの事実を知ったら余計な心配をしたり、こうやって不信感を覚えるのではないかと心配していたのだが、それは現実のものとなってしまったようだ。
 ラディスはやれやれと肩をすくめた。
「……さっきも言ったけど、俺は魔力のコントロールが下手で……プロジェクトの中では一番の劣等性だったらしい。最初から期待なんてされてなかったんだよ。
 先生が教官として選ばれたのは、最初から計画に加担していない何も知らない人間だった事。そして、魔導師としての実力が魔導研究所の中では上の下くらいの能力だった事。もし、仮に計画を知って、俺を利用して権力を取ろうとしても、その時は簡単に排除できるようにってね。要は無知でいつでも排除できる人間なら誰でも良かったらしい。たまたま居合わせたんだ。あの人は。
 で、あの人は俺の事に早くに気がついてね、素性も状況も教えてくれたし、俺を自由にしようと色々手を尽くしてくれていたらしい。だけどまあ、実験台の人数が減ってきて、研究所は俺を手放す訳にもいかず、十年前に第二都市であるアルージャに移送したんだ。その前後の関係で、先生は俺の指導から外されたんだけど……どうして外されたと思う?」
 そこまで話してから、ラディスはニヤリとアリアに笑いかけた。突然の問いかけにアリアは戸惑った。ラディスから聞かされた話では、自分の父親はいつ殺されてもおかしくない状況だったのだ。その事実は彼女にまた違う衝撃を与えていた。ある意味、ラディスの指導から外れる事は危険な事だったのかもしれない。
 答えに窮しているアリアを見て、ラディスは続けた。
「心配要らないさ。アリアの考えている事と逆だ。
 怖くなったんだ、研究所側がカーム=ウェルステッドをね。
 あの人は俺が魔法が下手なのに気がついていたから、なんとかして押さえつける術を身につけようとしていた。だけど、俺は先生なんかよりずっと高い魔力を持っている。普通じゃ敵わない事を知っていたんだ。
 だから、あの人は考えたんだ。自らの限界はあるにしても、能力を最大限まで生かせる人間はほとんど居ない。それは俺にも当てはまるはずだと。そして自分が最大限に力を引き出せるならどうにかなるかもしれないと。
 実際はこの読みが当たってて、俺は何度も先生に助けられた。そして、先生は潜在能力こそ同じだけど、確実に強くなってしまったんだ。そう、研究所側が考えていたいつでも排除できる人間ではなくなってしまった。
 それに先生は計画に反対を唱えてたしね、これ以上俺に対して影響力が強くならないように外されたんだ」
 ラディスはアリアに向かってゆっくりと頷く。
「だから、アリアは誇っていい。
 お前の父親は……素晴らしい魔導師だ」
 ラディスは真っ直ぐな瞳でそう言った。
その言葉に嘘偽りが無いことはアリアも分かった。そう、彼が父親を慕っているという事実抜きで信じても良いと思える言葉だった。
 アリアは父親の言葉を思い出していた。彼はラディスの事をこう言った。実の息子のように思っていると。きっとそれは本当の事なのだ。
 何故、父がラディスの救出に最後まで力を尽くさなかったのか、何故、自分を捨て駒のように扱う研究所から出なかったのか、それは全く分からない。それは父だけに分かるものなのだろう。
 それだけど、信じてもよい気がした。父のことを。今までと同じように。
 アリアは納得したように頷いた。それを見てラディスも安心したような顔になった。
 色々な事を思い出していた。十年も前の出来事を。アリアにとっては普通の暮らしでも、ラディスや父にとっては大きな出来事のあった年だったのだろう。
 アリアはふと思い出す。彼が居なくなる前の出来事を。
 あの日、ラディスは夜に尋ねてきた。おそらく居なくなるために挨拶のつもりで来たのだろう。本当はあの時、父に会いに来たのではないのだろうか。そう思ったら急に不安になった。あの時、いつものいたずらをしに来たのだと思ってまともに相手にしなかった。もし自分のせいで追い払ったのだったらどうしようかと思ったのだ。
「……ねえ、ラディス。最後に私の家に訪ねてきたでしょう?」
 いても立ってもいられず、アリアはラディスに問いかける。ラディスはその言葉に頷いた。
「ああ、行った。よく覚えてるな」
 むしろそれを覚えているアリアに対して感心しているようだ。同じ覚えているのならお互い様のような気もするのだが。
「……あのね、あの時、本当はお父さんに会いに来たんじゃないの?」
 アリアは不安げにそう尋ねる。もう、十年も前の事だ。今更悔いてもどうしようもないのだが、聞かずにはいられなかった。
 ラディスはその言葉に対してきょとんとした顔をした。そしてすぐに首を横に振った。
「いや。あの時はアリアの顔を見に行った」
「私……?」
 アリアはそう言われて驚く。そう、確かに彼はあの時に自分の顔を見に来たと言っていたけれど。それでも信じられなかった。
 そう、いつも自分は彼に邪険にされていた覚えしかなかった。いつも付いて回るアリアをうっとおしそうにしていた。
 再会してからもそうだった。父への思いは変わっていないようだったし、エランとは変わらない交流を持っているのに、自分だけは関わらないようにされているのを感じていた。幼馴染だといっても、どんなに今までその安否を心配していても…彼にとって、自分は軽い存在だと思っていた。
 だけど、先程彼は再会して驚いたと言い、最後にやって来たのは自分に会う為だったと言う。信じられない事だった。
「……顔、見たかったんだよ。もう会えないと思ったからさ」
 ラディスは十年も前の話を引っ張り出されて、苦い顔をしていた。あまり触れられたくないらしい。だけど、その言葉から分かる事は一つだけだった。
 ……彼は自分に会いに来てくれたのだ。決して、軽い存在では…居ても居なくても同じような存在では無かったのだ。
 それがやっと分かって、アリアは泣きそうになった。
 投げかけられた言葉はいつも冷たかったのに、本当は違っていたのだ。
 アリアは泣きそうになるのをこらえながら、ラディスの胸に手を当てた。
「……馬鹿。そんな事、言ってくれなきゃ分からないじゃない」
 そう、言ってくれなければ分からない事だった。言葉にしなければ伝わらない事も沢山あるのだ。
 ラディスは彼女の様子を見て、初めて自分の接し方が間違っていた事に気がついた。気を使っているつもりでも、何かを言葉にして言うのは苦手だ。伝える必要も無いと思っていた。だけど、伝えなければならない事もある事を知った。
 おそらくエランは出来ていた当たり前の事なのだろう。だけど、二人にとっては違っていた。それでもやっと、お互いの思いに気がつく事が出来たのだ。
「……心配かけたな、悪かったよ」
 ラディスは考えた末にそう言った。それしか言葉が浮かんでこなかった。言いたい事は他にもあるはずだが、それしか言葉が見つからないのだから仕方が無い。こういう時こそ、社交性にもしっかり教育を施して欲しかったと思うのだが、彼の周りを思い返しても、そんな事は望むだけ無駄だというのは分かっている。
 アリアはその言葉に頷いた。望んでいた言葉ではないし、そういう言葉が聞きたい訳でもなかった。それでも、その言葉だけで十分だった。それ以上の言葉は必要ではなかった。
 二人のわだかまりも解け始めた頃、目的の場所に辿り着く。
 そこは確かに異質で、アリアは思わず目を見張った。
 先程までは本当に森の中だった。人が時々通る事で生まれた小さな道無き道が通り道で、足場も悪くて、大きな根を乗り越えたり、木々を掻き分けながら進んだものだった。
 だけど、この場所は違っていた。小さな小部屋くらいの広さしかないが、そこだけ突然草原になっていた。木はその場所に侵入することなく、取り囲むようにして周りに茂っている。森の中にぽっかりとした穴が空いているかのようだった。
 ラディスはその小さな草原の中央に、腰に差していた細身の剣を地面へと突き立てる。
「……ここが魔力のポイントだ。全員がここに到達して魔力を送り込めば、この草原一帯が光りだすはずだ」
 ラディスはそう言ってアリアを見た。彼女はその言葉に頷き、剣の刺さっている場所に近寄った。
 確かにその場に立ってみると不思議な感覚に襲われた。まるで地面から生き物の波動のようなものを感じるのだ。魔力ポイントという言葉はぴったり当てはまる。
「ここは遺跡に対して力を送り込む儀式の場だったらしい。要するに……ここは古代文明の実験場所でもあったんだろうな。ここに木が生えてこないのも、魔力がバリアのように覆って進入を防いでいるかららしい」
 ラディスは遠くに見える古き遺跡を眺めながらそう言った。
 古代には今より魔法が栄えていたという話である。何故滅んだのかは分かってはいないが、リフラール遺跡のような過去の遺産を現在に残すものはいくつか見つかっていた。
 もっとも古代遺跡というものは近寄る事すら禁じられていて、近隣に住んでいるアリアでさえこの場所に来るのは初めてだったし、こんな草原がある事も知らなかった。そこに存在していても機密だったのだ。
 ラディスは遺跡を見つめながら難しい顔になった。そう、この作戦が上手くいく保証はどこにも無い。おそらく確率は五分五分といったところだろうか。
「アリア、ちょっと頼みがある」
 ラディスは真剣な表情でアリアを見た。アリアはその気迫に押されるようにして頷く。
「……実際問題として、封印の魔法が効くかどうかは五分五分なんだ。
 俺が言った魔法は、その魔力総量が相手の使用している魔力を上回らないといけないんだ。お前達四人と俺、合わせて…成功するかが微妙なんだ。
 なんていっても相手は俺の兄弟みたいなもんだし……あっちはおそらく力の封印を受けた事が無いんだろうからな」
「そのロキルドって人は……そんなに凄いの?」
 ラディスの慎重さにアリアは不安を覚える。知っているのは十年も昔の彼だが、いつも勝気で怖いもの知らずの印象があった。年月が彼を慎重にしたのだとしても、不安はあった。つまりそれは、それだけ勝率が低い事を示しているからだ。
 ラディスはその言葉に頷く。
「ああ、向こうは俺と違って優秀だと評判だったらしいしな。実際、二度ほど会っているが……確かに力のコントロールが上手いな。そしてこっちは問題児の俺だ。元々の勝算も五分五分なんだよ」
 ラディスの言葉にアリアは改めて現状の厳しさを知った。決して一筋縄ではいかない相手なのだ。
 底知れぬ不安がアリアを襲っていた。無茶しようとしている彼を止めるつもりでついてきた。だが、現実は無茶しなければならない状況で、最善策と思えることですら賭けの領域だった。
 また、目の前にいる人は消えてしまうのではないだろうか。そう、今度は永久に。
 ラディスはアリアの不安に気がついた。彼女は自分の安否を気にしているのだろう。それは手に取るように分かった。
 だが、ラディス自身には五分五分の勝負とはいえ不安感は無かった。何故か負ける気はしなかった。
 ラディスは不安げなアリアの肩に手を置いた。その肩は心なしか震えているようだった。
「アリア。まだ頼む事を言ってなかったな。
 いいか、封印の魔法が成功したら必ず手ごたえがあるはずだ。もし、何も反応が無いのなら別の呪文を唱えて欲しい」
「別の呪文?」
 アリアは顔を上げる。その青い瞳は不安で彩られていた。ラディスは大丈夫だというようにその肩に置いた手に力を入れる。
「ああ、俺にかかっている封印を解く魔法だ。
 大丈夫。ロキルドの奴をとっ捕まえて、しっかり更正してやるさ。
 だからアリア、頼んだぞ」
 アリアは頷く。自分に託された事がどのくらい大きな事か分かっていた。
 封印の魔法だって信頼していなければ、とてもじゃないが頼める話ではない。そして、自らの封印を解除するという事も。
 私はラディスに信頼されている。そう感じて、アリアは心を強く持つ事に決めた。
 不安がっていてもどうしようもない。何かするべき事があるならそれをした方がずっと良い。
 アリアの表情が強い決意を込めたものに変わるのを見て、ラディスはゆっくり頷く。
 そう、彼女になら任せられた。その重要な判断を。
 大切な幼馴染である、彼女だからこそ。

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