16. 涙


私にとって彼女は女神以外の何者でもありませんでした。
長く緩やかなウェーブを描いた淡い金色の髪。
穏やかで微笑が絶えないその表情。
優しい声、優しい言葉。
透き通るように真っ白な肌、手、足。
傍に居るだけで幸せを感じてしまう、そんな人でした。

私は彼女を心から敬愛していました。
誰よりも慕っていました。私の全てでした。
彼女のためなら、全てを注ごう。そんな事を考えていました。

彼女も私を愛してくれました。
私が来ると、嬉しそうに微笑んでくれました。
何も知らない私に、文字を教えてくれました。
絵を教えてくれました。詩を教えてくれました。

彼女の愛は平等でした。
どんな人に対してもその微笑みは変わりませんでした。
誰の目から見ても彼女は女神でした。
時には傷ついた人を癒す奇跡も起こしてくれました。

彼女は私の弟も愛してくれました。
弟にも様々なことを教えてくれました。
私たち、姉弟は彼女に心から感謝していました。

私達は彼女を愛していました。
彼女も私達を愛してくれました。

ある時の事でした。
あれは弟が見つけてきた何かの『かけら』でした。
小さな小さな薄茶色の何かのかけら。
弟がこれはなんだとせがむので、私は彼女を頼りました。
彼女に知らない事などありません。
彼女に聞けばこれが何か分かると思いました。

それを見せた時、何かが変わりました。
彼女は弟の持った『かけら』を見て驚いた顔をしました。
いつも微笑みを浮かべている彼女とは思えない表情でした。
だけど、私は彼女も驚く事があるのだと思っただけでした。
彼女の表情はまた元の優しい微笑みに戻りました。
そして弟の手ごと、そのかけらを優しく包みました。
そして、優しくこうおっしゃいました。

『これはね、かつてあった王国のかけらなのよ』

私も弟も意味が分かりませんでした。
王国とはどんなものなのでしょう。
私はこの村しか知りません。
かつてはもっと違っていたのでしょうか。
分かりません、私にはこの村しか無いのです。

だけど彼女は悲しそうでした。
私達が不思議がっている様子を見て
もっと悲しんでいるようでした。
いつものように微笑んでいるように見えても
何かが違っていました。
ほんの少しだけ違っていました。

その夜、騒ぎになりました。
彼女が居なくなったと騒いでいるのです。
父や母も懸命に捜しているようでした。
私も弟の手を引いて外へ出ました。

彼女の行動が信じられませんでした。
彼女の失踪なんて信じられませんでした。
だけど、昼間の事が気になったのです。
もしかしたら、私達のせいで彼女は居なくなってしまったのでしょうか?

そんなことは嫌です
そんな事はあってはならないのです。
彼女が居ない世界なんて考えられません。

私は彼女を愛していました。
弟も彼女を愛していました。
村の誰もが彼女を愛していました。

だけど、彼女は誰も愛してはいなかったのでしょうか?

月の綺麗な夜でした。
満月が世界を照らしてくれているから歩く事が出来ました。
彼女を探していました。
泣きながら探していました。
彼女が私を嫌いだったらどうしようかと思ったら
死んでしまいたいと思うくらいでした。

月明かりの向こうに彼女は居ました。
細い肩を震わせていました。

泣いているのでしょうか?
彼女は泣いているのでしょうか?

私達、姉弟に気がついたのか、彼女がこちらを向きました。
その目や頬はうっすらと月明かりに照らされて光っていました。
泣いていたのです。
彼女は泣いていたのです。
それを知って私はより一層涙が零れました。
弟も泣いていました。
二人で声を上げて泣きました。

彼女が近寄ってきます。
彼女の手が私の頬に触れました。
真っ白な手が私の涙を拭い去ります。
彼女は弟の涙も拭いました。
私達は彼女に触れられて、思わず涙が止まりました。

目の前の彼女は泣いていませんでした。
目は赤くなっていましたが、もう泣いてはいませんでした。

彼女は悲しそうな顔で私を見ました。
優しい声が響きます。

『お願い、泣かないで』

私はその言葉に頷きました。
彼女が居るなら、もう不安は無いからです。
彼女が泣いていないなら、もう悲しくないからです。
隣に居る弟も、同じように頷きました。

彼女はそれを見てうれしそうに微笑みました。

彼女はゆっくりと話し始めました。
私にというよりは独り言のようでした。

『私はね、かつてあの月に住んでいたの』

彼女は月を見つめました。
懐かしそうな顔でした。

『そしてね、ここに王国を作ったの。
仲間と共に祖国では出来なかった争い事の起こらない理想郷。
そこに争いを好まない人たちを住まわせた。
国は次第に発展し、美しい王国へと変貌した。
嬉しかったわ。仲間達と喜び合った』

そして彼女は顔を伏せた。
また悲しみを湛えた顔になりました。

『……だけど、突然の大地震でみんな死んでしまった。
仲間も王国の人々も、みんな。
私だけ残されてしまった』

私には彼女の言っている事は分かりませんでした。
だけど、彼女が一人ぼっちだということは分かりました。
寂しくて仕方が無かったという事は分かりました。

背の高い彼女に近寄りました。
私の身長では彼女の腰にしか手を回せないけれど
精一杯の思いを込めて抱きしめました。

一人じゃないと思って欲しかったのです。
私達が居るのだと分かって欲しかったのです。

弟も近寄ってきて、彼女の手を握りました。
彼女は驚いていましたが、すぐに嬉しそうな顔になりました。

『……ありがとう』

彼女は本当に嬉しそうでした。
私は嬉しくて嬉しくて胸がいっぱいになりました。
こんなに嬉しそうな彼女は初めて見たからです。

『あなたたちは仮初の存在なのに……
それでも私を愛してくれるのね』

彼女は泣いていました。
だけど私は悲しくなりませんでした。
彼女が嬉しいから泣いているのだとわかっているからです。

彼女は私と弟を抱きしめ泣いていました。
私と弟はそれに応えるように抱き返しました。

村には三人で戻りました。
みんな嬉しそうでした。
彼女も嬉しそうでした。
小さな騒ぎは終わりました。

今日も私は彼女に会いに行きます。
小さな花を持って。
きっと彼女は笑顔で迎えてくれるでしょう。
彼女は私達の女神なのです。



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夢で見たお話をアレンジしてみたものです。
途中から微妙に設定が変わっていきましたけれど。
解説すると…月と称されている方が惑星です。彼等がいるのは衛星の方。
『彼女』は衛星へとやってきて理想郷と仲間達と作り上げますが独り取り残され、
箱庭のような村を作ったのです。
仮初の命。仮初の思い。全ては『彼女』が作ったもの。
それでも仮初ではないものがあるのだと『彼女』は『私』から教わるのです。
そんな話ですね(^^;)。解説書かないと意味が分からないでしょうねえ;;
書き終わって、どこに入れるかかなり悩んだものです。
最初はCry for the moonに入れるつもりだったんですが…
ちょっと合わないし、罪は罪で変ですしね。それで涙へ移動。
詩ではない、ちょっとした物語でした。